今年は明治6年(1873)のいわゆる「廃城令」からちょうど150年になります。
今治城天守4階では、テーマ展示「城跡の歴史と今治城」を開催中です。
今回の展示では、明治の廃城令以降から令和までの今治城のあゆみを、
①明治の廃城令
②太平洋戦争と城郭
③昭和の天守復興ブーム
④平成の木造復元
⑤令和の築城ブーム?!
の5つのコーナーに分けて紹介しています。
会期は2023年12月末までの予定です。ぜひご来館ください。
今年は明治6年(1873)のいわゆる「廃城令」からちょうど150年になります。
今治城天守4階では、テーマ展示「城跡の歴史と今治城」を開催中です。
今回の展示では、明治の廃城令以降から令和までの今治城のあゆみを、
①明治の廃城令
②太平洋戦争と城郭
③昭和の天守復興ブーム
④平成の木造復元
⑤令和の築城ブーム?!
の5つのコーナーに分けて紹介しています。
会期は2023年12月末までの予定です。ぜひご来館ください。
🐰🐰🎍あけましておめでとうございます🎍🐰🐰
🏯2023年も今治城をよろしくお願いいたします🏯
2023年1月2日の今治城 |
さて、今日はお正月にちなんで「江戸時代の今治城のお正月」に関わる歴史資料の記事2つ紹介します。
まずは
しめ飾りの材料の調達についてです。
正月を迎えるのにかかせないのが「しめ飾り」。
江戸時代の今治城でも、お正月には「しめ飾り」を飾っていたようですが、その材料の調達に関する記事が残っています。
「藩正月飾使用品」(『今治郷土史 国府叢書 資料編 近世2(第四巻)』1989年、今治郷土史編さん委員会編、「国府叢書 巻二十三」p1022所収) |
今治藩では、12月24日に「七五三ノ飾(=しめ飾り)」の材料を、藩内の村々から納めさせていました。
材料の徴収場所は城内の「鉄門(=鉄御門)」とあります。
今治城の鉄御門 |
この鉄御門まで、村の人びとによって材料である塩鯛、葉付の竹、梅、裏白(うらじろ)などが運び込まれました。
これらの材料を使って、飾り付けは担当の藩士によって28、29日頃までには完成しました。
城内のしめ飾りは、材料の準備を村の人びとが、飾り付けを藩士が担っていたのですね。
つぎにお殿様へ新年のご挨拶の記事をみてみましょう。
年が明けると、多くの人びとが藩主(お殿様)への新年の挨拶のため登城します。
「登城(新年拝礼)ノ事」(『今治郷土史 国府叢書 資料編 近世2(第四巻)』1989年、今治郷土史編さん委員会編、「国府叢書 巻二十三」p995所収) |
まず挨拶の日程について(赤字部分)
1月1日、藩士や足軽などがご挨拶
次に1月3日、村の代表者たち(村役人など)がご挨拶
そして1月4日、僧侶や神官、修験者がご挨拶
といった順でした。
挨拶は今治城の大広間で行われました。
高貴な身分である藩主への挨拶をするときには、頭を下げたままでいなければなりません。(青字部分)
そこで、数メートル前から土下座の姿勢をとり、
そのまま数メートルを這うように前身し、藩主の前まで(村の代表者の場合は約3.6m前まで)くると新年のお祝いの言葉を述べました。
藩主の前でのご挨拶のあとには、藩主からお屠蘇(おとそ)がふるまわれましたが……
頭を上げることができないため、出されたお屠蘇を飲み干せないこともあったのだとか。(緑字部分)
絶対に粗相があってはいけない……年始からさぞ緊張感がみなぎっていたことでしょう。
なお、参勤交代で藩主が江戸にいる年は、大広間で記帳のみが行われました。
M
※「国府叢書」全65巻は、庄屋加藤家が代々残した今治藩政の数々の史料を基に編集(編纂)したもので、今治市屈指の郷土史資料集です。その編集は、最後の国分村庄屋であった加藤友太郎氏によるものです。藩政の実態や村の生活が解説されています。
今治市立図書館公式ホームページでは、「国府叢書」の原本の高精細画像および翻刻を閲覧することができます。 ⇒ https://trc-adeac.trc.co.jp/WJ11C0/WJJS02U/3820215110