こんにちは。
先日、ラジオ深夜便‐NHK📻を聴いていると、収蔵品を使って認知症予防に取り組んでいる北名古屋市歴史博物館の館長が出演していました。
映画『ALWAYS 三丁目の夕日』の撮影🎥に展示物を貸し出したこともある、別称「昭和日常博物館」の館長・市橋芳則氏です。
市橋氏が博物館の収蔵品を使って「回想法」➡ 高齢者が思い出や経験を話すことで元気になる心理療法を実施していることや、博物館を異世代間交流の拠点にしていることなどが評価され、第一回日本博物館協会賞を昨年、受賞しました。
「昭和日常博物館」は昭和時代の暮らしについて展示・保存しているので、車や自転車・電化製品にトイレのちり紙入れ・おもちゃや文具・ジュースのビンなど、たくさんの収蔵品があります。
1962(昭和37)年に発売されたダイハツ ミゼットMP5 アンシェット・コレクションズ・ジャパン株式会社 『懐かしの商用車コレクション』シリーズガイドより |
ミゼットMP5のカタログ表紙。 電話注文に即時に配達できるミゼットの機動性のよさがアピールされている。 |
コロナ禍において博物館などの文化施設は「不要不急」なのか?と論争が起きていますが、博物館は人々の日常生活に寄り添い、心の健康を保つ支援をすることができる施設だと、我々は思っています。
今治市の文化施設たち。 |
さて、休館中の掃除で見つけた今治城の定礎。
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https://imabarijo.blogspot.com/2021/04/blog-post_27.html
もし定礎の裏側に定礎箱が埋め込まれているならば、天守が建築されたころの世相がわかる品などが入っているはずですが、 確かめることができません。
そこで、手前味噌でキョウシュクですが定礎箱の中身の代わりに、先月まで今治城天守2階に掲示していた、昭和55(1980)年ごろの日本の世相を紹介させてください。
昨年の10月、「天守復興四十周年」のお祝いの記念行事として期間限定の御城印を製作販売したのと同時に、天守復興の建設工事の写真や新聞、その頃の世相がわかる品々を天守2階に掲示したものです。
写真をご覧になって、今治城天守が復興された昭和55年(40年前)頃を懐かしんでいただけますと、幸いです。
これらのことが記憶にない若い世代の方々は、ご両親やおじいちゃんおばあちゃんに尋ねてみてください。思いがけないこぼれ話が聞けるかもしれません。
まずは、今治市が市制60周年記念として今治城復元の構想を進めており、同市の観光と文化のシンボルになるものと期待されていることを伝える新聞記事⇩
昭和54(1979)年8月11日の愛媛新聞 |
次に、今治城天守などを建てるための発掘調査で、かわらや供養塔・墓石が発見されたことを伝える新聞記事⇩
昭和54年10/5の読売新聞と昭和55年9/3の朝日新聞 |
そして、復元工事中の今治城天守が工事用の一部足場を取り払い、三層以上の姿が眺められるようになったことを伝える新聞記事と写真⇩
昭和55年8/8の読売新聞 |
講談社発行・昭和二万日の全記録⑰昭和55年~58年より |