2014年10月11日土曜日

再建していない大事な城門

 こんにちは。

 大型の台風が近づいていますが、本日はまだ好天です。

 今治城に入るメインルートは、水堀を横断するまっすぐな土橋を渡り、突き当りを右に折れ曲がって、扉に黒い鉄板を貼った鉄御門(くろがねごもん)をくぐります。


土橋から鉄御門方向を見る。



 その鉄御門の手前に、実はもう一つ、城門があったのです。


 明治時代初期に焼失し、現在は緊急時の城内への車両通行の妨げになるため、残念ながら再建していません。

 その代わり、かつての城門の両脇の石垣跡に灰色のペイントをし、解説板を設置しています。


鉄御門の手前の道路にある灰色のペイント。城門脇の石垣の跡です。
灰色のペイントが微妙に波打っているのは、ミスではありません。石垣の形をリアルに再現しました。


 城門は、高麗門(こうらいもん)と呼ばれる形のものでした。

 丸亀城(香川県)の大手口には江戸時代の高麗門(大手二の門)が現存しています。今治城にもこのような門が建っていたのです。

丸亀城(香川県)の大手二の門


 ここは、今治城の中心部への入り口にあたります。

 高麗門とその奥の鉄御門という、2つの城門を連続させて守りを固めています。

 さらに、2つの城門の間で進路を屈曲させ、まっすぐ城内に侵入できないようにしています。


高麗門跡(手前)と、鉄御門(右奥)


 2つの城門に阻まれて行き詰った敵兵に対しては、周囲の長屋状の櫓(多聞櫓:たもんやぐら)から攻撃を加えることができました。

高麗門・鉄御門・多聞櫓の略図(屋外解説板より)


 
 この形式は、城の出入口(虎口:こぐち)としては最も守りが固いもので、今治城を築いた藤堂高虎が開発しました。
 鉄御門・武具櫓の中で、ビデオとパネルによって詳しく解説しています。ぜひご覧ください。


 今治城に入る際は、再建していない幻の城門と、藤堂高虎の築城術に思いを馳せていただければと思います。