2016年1月30日土曜日

石垣に転用された五輪塔

皆様、こんにちは。

ここ最近は非常に寒い日が続いておりますが、いかがお過ごしでしょうか。


今日は、天守内に展示している今治城にゆかりのあるモノを紹介しようと思います。


それが、これです!

一体これは…?


実はこれ中世(鎌倉時代~戦国時代)に作られたと思われる五輪塔を構成していた石材なんです。

恐らくもとの姿はこんな感じだったんじゃないでしょうか…

『ふるさと今治の文化財』(1990)から抜粋

藤堂高虎が今治城の築城を開始した際、問題になったのが石垣用の石材の確保だったと云われています。
領内に良質な石材を産出する山がなかったようで、本来であれば耐久性に難がある石灰岩までかき集めて使用する程でした。

地元・今治には以下のようなエピソードが残っています。


今治城の石垣用の石材確保のため、高虎は領内の村々に向けて、上記の写真に写っているような五輪塔等の石塔を差し出すように命じますが、乃間(野間)という地区では先に地区内の石塔を地面に埋めて隠し供出を免れたそうです。


この石塔の徴発というエピソードを裏付けるかのように、過去今治城で行われた発掘調査では石垣の中から五輪塔と思われる石材が多数出土しています。


現在、天守4Fに展示している石材は、こうした発掘調査の時に出土したものなんです。

五輪塔の笠の部分

現在の今治市には藤堂高虎や初期の今治城に関する史料がほとんど残っていません。
そのような中で、こうして残っている五輪塔の部材の一部は、今治城築城時の様子を物語る大事な生き証人だと思います。

今治城天守に来館された際には、ぜひ4Fに展示している五輪塔の石材もご覧ください。

                                                   学芸員 伊津見