2019年2月2日土曜日

【展示案内】もっとも正確に描かれた今治城の絵図


こんにちは。

このブログの新しい試みとして、現在の展示品を少しずつ紹介していくコーナーを始めました。

初回に紹介するのは、
「もっとも正確に描かれた今治城の絵図」です。

天守の2階に展示しています。


展示風景

資料名は「安永八年今治城絵図」としています。
今治城が所蔵しています。
江戸時代の安永8年(1779)に作成されました。今から240年前ですね。

「安永八年今治城絵図」


江戸時代以前は、現在の地図を作るような精密な測量技術が発達していなかったので、現在ほど正確な地図は作れませんでした。
そんな状況下で、当時の技術を駆使して、当時としては極めて正確に今治城が描かれています。

しかし、この絵図には、今治城の櫓も、城門も、そして立ち並んでいた建物も、立体的な姿は描かれていません。
描かれているのは、櫓や門の位置には桃色の四角形のみで、
建物が建っていたところは、その敷地の形が白い四角形で描かれているのみです。

今治城の中心部。櫓や城門は桃色。塀は赤色。
石垣は白色で石垣の模様で描かれ、土塁は緑色。
全体的にシンプルに描かれている。

では、何が「正確」なのかというと、白い四角形で描かれた屋敷地の、位置や大きさ、形なのです。
そして、城内に広がる全ての屋敷地を正確に描くため、城全体の形も正確に描かれたのです。

城内に並ぶたくさんの屋敷地の区画には、その一つ一つに、縦・横の長さとともに、人の名前が書きあげられています。
屋敷地をもらっていた今治藩の家臣の人たちです。
(昔の字で書かれているので、なかなか読むことが難しいですが、ご自身と同じ苗字など、読むことができる名前があるかもしれません)

家臣の屋敷地の描き方。
「上野」さん(中央右端)、「平野」さん(中央)、
「竹本」さん(左上、および右下)等の名前が確認できます。


この絵図は、城内にある家臣たちの屋敷の位置や大きさを正確に把握するために、今治藩が作成したものと考えられます。
(だから、敷地以外のものは絵図の主目的ではないため、簡単にしか描かれていないのです)


この絵図からは、色々なことがわかります。

例えば、大きな屋敷ほど、城の中心部(殿様(藩主)の屋敷がありました)に近いところにいるか、または、城の中心に向かう道路沿いにあることがわかります。

逆に、小さい屋敷は、城の中心から遠い所にあります。

右上の水堀(青色)に囲まれたところが城の中心部。
中心部との近さと屋敷地の大きさが、おおよそ比例することに注目。


別の史料によると、大きな屋敷を持つ人は、家臣団の中で上位の人たちで、今治藩の役職の中で重役についている人であることがわかっています。
家臣の中での地位の高さや、役職の重さに比例して、屋敷地の位置や大きさが決められていたことがわかります。

この他に、どんな特徴を見つけることができるでしょうか。

ぜひ、じっくり観察してみてください。


※この絵図の画像と解説は、今治城で販売している図録「よみがえる瀬戸内の名城 ―今治城絵図・古写真展―」(600円)に掲載されています。
今治城のホームページにて通信販売もしております。ホームページの「ミュージアムショップ」からお求めください。


学芸員 藤本