2020年7月18日土曜日

📺テレビ愛媛「いーよ!」の取材を受けました。(学芸員の仕事⑤)


こんにちは。


こちら四国の今治では紫陽花(アジサイ)の盛りは過ぎ蝉(セミ)が鳴く時季となりました。梅雨の合間の晴れの日は、耳がじーんとなるくらいの音量です。






6月末の今治城のアジサイは、こんなふうに咲いていました。





今治城の紫陽花はガクアジサイ。小さな花が寄り集まっているように見える部分は花びらではなく、ガクなんだそうです。

中心に集まっている小さな蕾のようなものが〈花びら〉で、外側に付いている花びらのようなものが〈ガク=葉っぱが変化した花を守る部分〉です。

なのでアジサイは、桜のようにハラハラと散るのでもなく、椿(ツバキ)のようにポトリと落ちるのでもなく、茶色くしなびてゆくのですね。






さて、先月のことですが6月13日土曜日に今治城の学芸員がテレビ出演をしました。『ふるさと絶賛バラエティー「いーよ!」』です。



番組は、BAR禄さんのマスターとテレビ愛媛のレポーターが、今現在の今治に残っている【昔の今治】を訪ね歩く内容でした。


お二人が市街地を歩き、石垣が残っている場所に来ると📺画面に今治城の学芸員が登場し、天守三階に展示している「正保今治城絵図」を使って解説します。






テレビ愛媛さんからいただいた番組のデータを、パソコンで
視聴しながら撮った写真を使って紹介させてください。





今治の商店街がある金星町は、明治以降にお城の外堀③を埋め立ててできました。





その金星町に流れるのが金星川です











今治城は三重の堀を持っていましたが、今も残っている堀は、本丸と二の丸(城主が住んでいた)を囲む内堀だけ。中堀と外堀は、ほとんどが埋め立てられました。


今治城のリーフレットより


今治城の見どころのひとつに石垣があります。
ほとんどの石垣が、約400年前の築城当時のままです。


今治城のリーフレットより


古い絵地図を見ると、海岸沿いにも石垣と櫓が築かれていたのがわかります。





では現地に行ってみましょう。

















天守がある本丸・二の丸から離れた海岸に、なぜこんなに立派な石垣や櫓を造ったのでしょう。






海岸沿いに石垣と櫓を造ることで、今治城のまもりは頑強だぞ!簡単には攻略できないぞ!と、海からの侵略者に対してアピールしていたのかもしれません。





今治城は海を意識した縄張となっており、日本三大海城の一つに選ばれています。〈あと二つは高松城と中津城。〉






縄張とは、城の設計のことを指します。本丸をどこに置くか。二の丸・三の丸などの曲輪をどう配置するか。防御のための塀や土塁はどのようにめぐらせるか。など、城の全体像の設計が【縄張】です。語源は、城をつくる際に築城予定地に縄を張り、城の範囲や建物の位置を示したことに由来します。




📺ふるさと絶賛バラエティー「いーよ!」は、みんなに教えてあげたくなる情報が満載の番組でした。今も残っている昔の今治を探しに、出かけてみたくなりました。