2016年10月23日日曜日

特別展「今治藩主 久松松平氏の世界」~本編~

前回の記事では、久松松平氏がどのような一族なのか、徳川家との関係性もからめて紹介致しましたが、久松松平氏が徳川家康と非常に近い存在であった事がわかったと思います。
今回はその久松松平氏にゆかりのある文化財を展示した特別展「今治藩主 久松松平氏の世界」の様子について一部ですが紹介致します。


まずは2つある会場のうちの1つ目(第2会場)、天守4階から

天守4階も特別展の会場に模様替えです!


5代藩主松平定郷が、蹴鞠の家元の飛鳥井家からもらった蹴鞠装束の免許状等、歴代藩主やその一族にゆかりのある書画や史料を展示しております。

定郷は蹴鞠のプロ?

天守4階が第2会場となっていますが、順路の関係上ここから見学してもらった方が都合は良いかと思います。(順路がわかりにくくてごめんなさい・・・)
続いて第1会場たる山里櫓です。


第1会場山里櫓の入口です。

 主に展示しているのは、藩主自筆の書画や、


6代藩主定休自筆の「自画賛 暮歳図」

初代藩主松平定房が、琉球国王の尚貞王からもらった感謝状、

                

長崎奉行が琉球船を襲った海賊を退治してくれた事について、
琉球国王から幕府首脳陣へ宛てられた感謝状です。



 久松松平氏の家紋である「星梅鉢紋」が刻まれた角盆等々           




以上1984(昭和59)年に久松家から今治市に寄贈頂いた文化財を中心に展示しております。 しかし、これら数多くある展示品の中でもっとも注目すべきものは以下の2つと云えるでしょう。


①領地朱印状

                

江戸時代、全国の大名達は将軍から領知朱印状という、領地支配を保証する書状を発給してもらっていました。この朱印状は将軍の代替わり毎に発給されており、大名による領地支配の根幹をなす上でとても大事な書状といえます。


しかし、歴代将軍の領地朱印状全てが今も残っている大名家はほとんどありません。明治維新後に内務省が旧大名家から朱印状を回収してしまい、関東大震災で焼失したためと云われています。幸い久松家(明治維新後に松平から久松に復姓)には、歴代将軍からもらった領知朱印状が全て残っており、今回一部ではありますが、展示する事になりました。


➁松平定房公所用甲冑


                




もともとは天守2階に展示していた初代藩主松平定房公が所用していたと伝わる甲冑。
今回、特別展に合わせて甲冑の専門家の方に依頼して調査して頂いたところ、本甲冑は江戸時代初期の「尾張具足」という形式の甲冑である事、籠手や兜等のパーツが2通り存在し、それらは実戦用と儀礼用で使い分けていた事が判明しました!
そのため、今回は実戦用のバージョンを展示し、儀礼用のバージョンは写真パネルで展示して両者の違いを比較しやすいようにしています。

以上、ざっとですが、特別展の内容について紹介させて頂きました。
領地朱印状や官位の叙任に関する任命状等、普段なかなか見れない貴重なものも多数展示しておりますので、ぜひ多くの人にお越し頂ければと思います。
そしてこの特別展を通して江戸時代、230年に亘って今治を治めた久松松平氏について多くの方が興味を持って頂ければ幸いです。

特別展に関する記事は次が最後です!

つづく
                           
                                                   

                                                                                            学芸員 伊津見