2016年10月22日土曜日

特別展「今治藩主 久松松平氏の世界」~プロローグ編~

本日より今治城天守4F・山里櫓において、平成28年度今治城第2回特別展「今治藩主 久松松平氏の世界」が始まりました!


本特別展は、今治城を築いた藤堂高虎とその養子の高吉が、伊勢・伊賀に移封された後に、江戸幕府から3万石を与えられて今治に入ってきた久松松平氏にスポットを当てたものになります。


さて、その久松松平氏とはどんな家なのか?

「松平」と付いているからには徳川氏の一門では?と思われる方もおられるかもしれませんが、まさしくその通り。
ただし、その成り立ちには他の松平氏とは異なる特殊な事情を見る事が出来ます。


と、いうのも久松松平氏はもともと久松氏と名乗る尾張国(愛知県)の一豪族でしたが、戦国時代後期に当時の当主であった久松俊勝は、近郊の水野氏からある女性を再婚相手として迎えます。
実はこの女性こそ、徳川家康の生母で当時、実家である水野家に戻っていた於大という人で、この俊勝と於大との婚姻がその後の久松氏の行く末を決めたといっても過言ではないでしょう。


2人の間には多くの子ども達が生まれますが、彼らは家康から見たら父親は違えど同じ母親の腹から生まれた兄弟姉妹。実の兄弟姉妹がいなかった家康にとっては信頼出来る親族でありました。その証拠に家康はこの父親違いの弟達全員に徳川氏が以前に名乗っていた松平姓を与えます。これが久松松平氏の始まりです。


この弟達のうちの1人に定勝という人物がいましたが、今回スポットを当てた今治藩主久松松平氏の初代である松平定房は、この定勝の五男になります。幕府からの信頼厚く、将軍の名代として上洛したり、江戸城の留守居役を任される程の人物でした。


その定房が藩主として今治城に入ったのは1635(寛永12)年。
以後10代230年に亘って久松松平氏が代々今治を統治してきましたが、今回の特別展はこの久松松平氏に伝来する文化財を大公開するものになります!
今回の特別展は一体どんな展示なのか、その内容については明日また記事としてあげたいと思います。
(つづく)


特別展のポスター



                                      学芸員 伊津見