こんにちは。
二十四節気の雨水が過ぎました。
人々は昔から、雨水【野山の雪がゆっくり溶け出し、田畑が潤いを取り戻す頃】をめやすに、農作業の準備を始めてきました。
農家に限らず、庭いじり・土いじりを楽しみにされている方にとって、待ちに待った季節到来ですね。
さて先日、NHK「ブラタモリ」をご覧になって村上海賊ミュージアムに行かれたあと、今治城に寄ってくださった観覧者とお話する機会がありました。
※ブラタモリ「しまなみ海道~“瀬戸内の覇者”村上海賊はなぜ生まれた?~」が1月16日にNHK総合テレビで放送されました。
その方は、パネル展示「海城の形が変わった‼」を見て、村上海賊の拠点が能島だけではなく、他にもあったことが理解できた。とおっしゃっていました。
また瀬戸内の海賊は、映画で観るパイレーツように船を襲って略奪する集団ではなく、【水先案内人や海上警備などをしたり、大名のように海上での戦いや兵糧輸送などで抜群の能力を発揮する】海を守る集団だったこともわかったそうです。
📺「ブラタモリ」でタモリさんを案内した村上海賊ミュージアムの学芸員・田中さんが坂の上のラジオ(2020年10月3日放送)で、
「彼らのなかには、歌を詠んだり、お茶を嗜(たしな)んだりする文武両道の海賊もいたんですよ。」と、村上海賊の意外な一面も語っています。(南海放送ラジオのホームページより)
では、表題にある天守2階で開催中のパネル展「海城の形が変わった‼」を紹介させてください。
「海に接して築かれた城」や「海から船で入ることができるなど、海を城の中に取り込んでいる城」を海城と呼ぶことが多い様です。
瀬戸内地方の海城
①中世(鎌倉・室町時代)
➁近世(安土桃山・江戸時代)
をパネルにして、それぞれの形と時代による変化を見ていきます。
①中世の海城
下の地図をご覧ください。
展示で取り上げているのは、4つの中世の海城
赤丸●左から来島城・能島城そして甘崎城・亀山城です。
※黄色●は今治城
4つの城を、パネルで説明。
中世の海城の特徴
①岬の先端や小さい島を、城の縄張にしています。
➁自然の地形を利用し、規模が小さい。
➂海賊など、海で活動する勢力が城をつくっている。
➃近世まで継続する城は、ほとんどありません。
➁近世の海城
下の地図をご覧ください。
展示で取り上げている近世の城4つです。
青●左から小倉城・臼杵城・三原城・高松城
※黄色●は今治城
近世の海城の特徴
①平地の海辺や河口近くに築城。
➁人工的で大規模な石垣などを築く技術を使って広い敷地を造り、家来たちも住まわせた。政治活動の中心にするためです。
➂城下町や港をつくりました。経済活動の中心にするためです。
➃地域を支配する大名の居城。
まとめ
①中世の海城は、各地の海の勢力(海賊など)の海上活動の拠点。
➁近世の海城は、領国の支配者(大名)が政治と経済の中心地として築いたもの。大量の物流(生産物を生産者から消費者へ引き渡すこと)や交通が可能な海の利点を、大名が本格的に利用しました。
これらの違いが、海城の形や大きさに表れています。
今回のパネル展示で紹介した城以外にも、各地に海城があります。これをきっかけに、海城に興味を持っていただけると嬉しくおもいます。
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