2018年11月3日土曜日

今治藩ゆかりの史跡⑤~大浜八幡大神社~

皆さん、こんにちは。

昨年12月からスタートし、今年1月以降長らく更新が中断していた今治藩ゆかりの史跡を紹介するシリーズですが、今回よりまた再開したいと思います。

今回取り上げますのは、今治市の北部、来島海峡に近い大浜地区にある大浜八幡大神社です。


神社の拝殿です。

創建された年は不明ですが、古代からこの地に鎮座している神社であり、小千命(おちのみこと)を祭神としています。

この小千命は、越智姓の元となった神様とされていまして、神社境内から少し離れたところには「越智氏族発祥之地」の碑が建てられています。

全国の「越智さん」の起源を示す「越智氏族発祥之地」の碑

大浜八幡大神社は、当初は「大濱宮」と称していたそうですが、859(貞観元)年に、大分の宇佐八幡宮から八幡神を勧請して以降は、現在の社名に改めました。
その由緒から伊予国守護の河野氏や、近隣の来島を拠点としていた来島村上氏といった、地域の有力者から代々崇敬を集め、庇護を受けてきています。


江戸時代に入り今治藩が成立すると、大浜八幡大神社は越智郡の総氏神として地域から厚い崇敬を受け、歴代今治藩主やその家族も度々参詣しています。

また、旧暦8月15日(現10月第2日曜日)に行われる大祭は、江戸時代においては今治地方最大の祭りで、神社から繰り出される神輿が城下町だけでなく、今治城内まで入り込んでいました。

現在でも参道入口に立つ大鳥居や、城下町の商人が寄進した狛犬・灯篭といった石造物からも、大浜八幡大神社がいかに地域の人々から厚い崇敬を受けていたかが窺えます。


参道入口に立つ大鳥居


境内の様子


城下町の商人・黒部重好が奉納した石灯篭。
黒部家は、江戸時代の今治の豪商で、藩札の発行にも関与しました。


大浜八幡大神社前の大浜漁港から望む来島海峡。


              今治城学芸員
                        伊津見