こんにちは。
「今治城の石のふしぎ」について、前回(7月28日付)のつづきをお伝えします。
実はこの「今治城の石のふしぎ」シリーズ、全3回を計画していまして、今回は第2回目です。
前回のブログの最後に、
今治城の石のふしぎについて、
「なぜ、今治城の石垣(いしがき)の石は、花崗岩(かこうがん)が大半を占めていて、2番目に多いのが大理石(だいりせき)なのでしょうか?」
と問いかけました。
👉https://imabarijo.blogspot.com/2021/07/blog-post_28.html
その答えは、
一般的なお城の造り方が大きく関わっていると思っています。
お城の石垣には、大きな石がたくさん使われています。
今治城の山里門手前の石垣 |
では、これらの石は、どこから運ばれてきたのでしょうか?
ヒントとして、問い方を変えてみます。
あなたがお殿さまで、お城を造ろうとする時、たくさんの大きな石をどこから運んでこようと思いますか?
・・・お城の近くで、大きな石を取りやすいところから取って運びたい!!・・・とは思いませんか?
そう思ったあなたは、怠け者のお殿さまではありません。
これが、お城を築く時の普通の考え方なのです。
遠くの、取りにくいところの石を運ぶよりも、近くで取りやすい石を運ぶ方が、効率的だからです。
一般的に、石垣の石は、お城の建っている地域でよく取れる石が多く使われる傾向があります。
少し難しい図ですが、今治周辺地域の地質(ちしつ。その土地の土や石の性質のこと)の地図を見てみます。
今治周辺地域の地質図 榊原正幸「今治城石垣の石材について」(『今治史談』合併号13,2007年)より |
地質の種類ごとに、点、線、記号で模様が付いています。
「★今治城」の周辺に分布する地質に注目します。
図の左側の類例で、赤の下線を引いた地質が多く分布しています。
「・・花こう・・」は花崗岩の一種です。
「・・トーナル・・」も、広くは花崗岩の一種です。
つまり、花崗岩が多く分布していることがわかります。
今治城の石垣の石に、花崗岩がとても多く使われている理由は、この地域では花崗岩が一番多く、一番取りやすいからなのです。
みなさんも、お近くのお城の石垣にどんな種類の石が多く使われているか、調べてみてはいかがでしょうか。
きっと、お城のある地域でとてもよく取れる岩石が使われているのではないかと思います。
では、さらに細かく。
今治城の花崗岩は、今治地域のどこから切り出されたのでしょうか?
残念ながら、当時の石切り場の遺跡や、どこから運んだかを記した史料が見つかっていないため、確実なことはわかりません。
しかし石の成分を細かく調べると、瀬戸内海の大三島(おおみしま)の花崗岩とよく似ていることが指摘されており、ここから切り出された可能性があります。
大三島の位置は、上の図で黄色の線で囲っています。
今治城最大の石「勘兵衛石(かんべえいし)」も花崗岩。 どこから来たのでしょうか? 大三島? |
そして、今治城で花崗岩の次に多い大理石(だいりせき)。
貝殻の付いている大理石。
今治周辺地域でどこに分布しているかと探すと、
同じく大三島と、その西どなりの大下島(おおげしま)、小大下島(こおげしま)、岡村島(おかむらじま)に「領家変成岩類(りょうけへんせいがんるい)」の分布が認められます。
上の図の類例で、青色の下線を引いた模様の分布です。
今治周辺地域では、花崗岩類の次くらいに広く分布している地質です。
この領家変成岩類に、大理石が含まれています。
そして特に大三島、小大下島、岡村島では、海岸またはその近くに大理石が露出しており、特に切り出しやすい思われるのが、小大下島と大三島とのことです。
これらの島から、今治城の大理石はここから切り出された可能性があります。
※上の図で黄色の線で囲っている島です。
小大下島では、約50年前まで石灰石(せっかいせき。大理石を含む)が採掘されていて、その跡も残っています。
これらの大理石は、小大下島や大三島辺りから来たのかもしれません。 |
つまり、今治城の石垣の石は、
この地域で一番取りやすい岩石を使用しており、
花崗岩は瀬戸内海の大三島、
大理石は、同じく大三島や、小大下島、岡村島の辺りから、
海を渡って運ばれてきた可能性が高いとされているのです。
一番最初(4月26日のブログ)の「今治城の石垣の石には、貝殻が付いている」という謎に、だんだん近づいてきたと思いませんか?
それでは、今回はここまで。
次回(3回シリーズの最終回)、今治城の石垣についての昔話を交えて、この謎の解明に迫りたいと思います。
お楽しみに!!
学芸員F