こんにちは。
十五夜も十六夜(いざよい)も過ぎましたね。
どちらも見逃した方は、満月に限らず色々な形の月を見上げてはいかがでしょう。月には、それぞれ和名が付けられていて、とてもロマンチックです。
枻出版社『にっぽんの七十二候』89㌻より |
ところで、お城の事務所に貼ってある9月のバリィさんカレンダーに、のまうまキャラクターが登場しています。
9月のバリィさんは「のまうま祭 楽しみやがね」と、つぶやいていますね。
のまうま祭は、9月21日 9時50分~16時 のまうまハイランドで開催されるお祭りで、野間馬は日本最小の在来馬です。
夏休み中、お客さまから「高虎公は江戸時代の人なのに、ナゼ広場にある高虎公の銅像はサラブレッドに乗ってるのか?」と質問がありました。
競馬など、テレビで見る馬はサラブレッドなので、高虎公の銅像の馬を何の違和感もなく眺めておりました。
絵画でも、皇帝などが立派な馬にまたがる姿を見慣れていたので、高虎公銅像の馬に疑問を持ったこともありませんでした。
そこで、今治藩の軍馬について調べてみました。
今治城築城・開町400年祭実行委員会発行『今治城見聞録』や野間馬研究会発行「野間馬季刊号」などを参考に、お伝えさせてください。
野間馬研究会発行『野間馬季刊号』第2号より |
今治藩は、野間郷一帯の農家に軍馬の飼育を請け負わせ、体高が四尺以上に大きく育った軍馬には、飼料代と報奨金を与えて買い入れました。四尺に満たない馬は、農耕馬として農家に使用を許しました。
この四尺に満たない小さい馬どうしを交配させた野間馬は、粗食に耐えて力持ち、段々畑や山の斜面で威力を発揮したようです。
性格がおとなしく小さな体の野間馬は、女性や子供にも扱いやすく、今治藩や松山藩で広く普及しました。
今治藩の軍馬の厩(うまや)〈厩舎・馬小屋〉は、現在の今治城の駐車場の近く、緑の線で囲んだ辺りにあったようです。
駐車場から撮影しました。 |
鉄御門から撮影しました。 |
そして、昔、この辺りの地名を「御厩通」といいました。
赤い✖印に、このような石碑が立っています。
バス停にも、名前が残っています。
右奥に天守が見えます。
天守や櫓の他にも、見どころいっぱいの今治城にいらっしゃいませんか。お待ちしております。
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