2019年9月16日月曜日

銅像・藤堂高虎公の馬(軍馬)と野間馬(農耕馬)


こんにちは。


十五夜も十六夜(いざよい)も過ぎましたね。







どちらも見逃した方は、満月に限らず色々な形の月を見上げてはいかがでしょう。月には、それぞれ和名が付けられていて、とてもロマンチックです。



枻出版社『にっぽんの七十二候』89㌻より




ところで、お城の事務所に貼ってある9月のバリィさんカレンダーに、のまうまキャラクターが登場しています。







9月のバリィさんは「のまうま祭 楽しみやがね」と、つぶやいていますね。







のまうま祭は、9月21日 9時50分~16時 のまうまハイランドで開催されるお祭りで、野間馬は日本最小の在来馬です。







夏休み中、お客さまから「高虎公は江戸時代の人なのに、ナゼ広場にある高虎公の銅像はサラブレッドに乗ってるのか?」と質問がありました。


競馬など、テレビで見る馬はサラブレッドなので、高虎公の銅像の馬を何の違和感もなく眺めておりました。
絵画でも、皇帝などが立派な馬にまたがる姿を見慣れていたので、高虎公銅像の馬に疑問を持ったこともありませんでした。








そこで、今治藩の軍馬について調べてみました。

今治城築城・開町400年祭実行委員会発行『今治城見聞録』や野間馬研究会発行「野間馬季刊号」などを参考に、お伝えさせてください。

野間馬研究会発行『野間馬季刊号』第2号より


今治藩は、野間郷一帯の農家に軍馬の飼育を請け負わせ、体高が四尺以上に大きく育った軍馬には、飼料代と報奨金を与えて買い入れました。四尺に満たない馬は、農耕馬として農家に使用を許しました。

この四尺に満たない小さい馬どうしを交配させた野間馬は、粗食に耐えて力持ち、段々畑や山の斜面で威力を発揮したようです。

性格がおとなしく小さな体の野間馬は、女性や子供にも扱いやすく、今治藩や松山藩で広く普及しました。


今治藩の軍馬の厩(うまや)〈厩舎・馬小屋〉は、現在の今治城の駐車場の近く、緑の線で囲んだ辺りにあったようです。






駐車場から撮影しました。



鉄御門から撮影しました。


そして、昔、この辺りの地名を「御厩通」といいました。

赤い✖印に、このような石碑が立っています。









バス停にも、名前が残っています。









右奥に天守が見えます。

天守や櫓の他にも、見どころいっぱいの今治城にいらっしゃいませんか。お待ちしております。