こんにちは。
真っ赤に色づいたさくらんぼが出回り始めました。
佐藤錦は収穫期が2週間であることから、赤い宝石ルビーと呼ばれているようです。
今年の佐藤錦 |
山形県はさくらんぼの生産が全国一位。さくらんぼ狩りを楽しめる鶴岡市の観光農園では、18日の地震の影響で、観光客のキャンセルが相次いでいるそうです。
震度6弱だった鶴岡市の観光農園の代表は、「地震の被害はないので、ぜひ遊びに来て、さくらんぼを味わって欲しい」と話されています。
今月5日にも県内陸部で🍒ひょうや強風による農業被害が6億円を超えたばかりなので、さくらんぼに関わる方々の苦悩は計り知れません。
今治城のとなりにある吹揚公園の「藤堂高虎公の像」をご覧になったことはありますでしょうか。
高虎公は普段の着物姿で愛馬にまたがっておいでます。
一般的な武将の像は甲冑姿。
菊池武光公の像 高虎公の像と同じく中村晋也先生の作 |
なぜ、藤堂高虎公の像は甲冑姿ではないのでしょう?
吹揚公園にある高虎公の像は平成16年(2004年)に製作されました。『今治城築城・開町400年祭 藤堂高虎公の像建立記念 藤堂高虎公』(発行者は今治城築城・開町400年祭実行委員会 発行年は平成16年9月26日)に記されています。
まずは、作業工程のようすを。
基礎の台座を作るためミニチュアをつくり
高虎公のイメージを粘土で形にします。
木の仏像や
石の彫像は
こんなふうに作るのですが、
「せかいのひとびと」より |
銅像は、粘土でつくった原型を樹脂に置き換え、鋳造用原型をつくります。
原型をいくつかに分割し鋳型をつくり
鋳型に青銅を一気に流し込みます。
表面を仕上げ溶接し一体化し
完成した青銅の像の表面を化学反応で着色します。
このようにして藤堂高虎公の銅像がつくられました。
作者の中村晋也先生(2007年文化勲章受章)は、固有名詞の人の作品を依頼されると、故人であれば、まず、お墓をお参りを。
なので、像の製作まえに高虎公のお墓参りをしたあと、さまざまな史料を調べ、ゆかりの土地を訪ね、自分自身が高虎公になりきって像をつくられたそうです。
高虎公が甲冑姿でないのは、一度も今治城から出陣していないから。
戦いの日々から離れた高虎公が、築城時に城内を見回る姿をイメージして、このような普段の着物姿なのだそうです。
高虎公のイメージは、中村先生がこの仕事を受けられたときにすでに出来上がっておられたそうです。
このような藤堂高虎公の像がある今治城へいらっしゃいませんか。お待ちしております。
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