2019年7月12日金曜日

藤堂高虎の黒漆塗唐冠形兜【うさ耳カブト】


こんにちは。


昔からあるハレの日の料理のひとつに、ちらし寿司があります。






岡山県の「備前ばら寿司」は、江戸時代のお殿さま(備前岡山藩)が出した「食事は一汁一菜とする」という〈おふれ〉がきっかけとか。


せめてハレの日ぐらいはごちそうを…と考えた人々が、寿司の具を酢飯の下に隠して盛りつけたのがはじまりだそうで、「隠し寿司」とも呼ばれているそうです。






領地の民に絶大な影響力を発揮するお殿さまは、日々どのようにお過ごしだったのでしょうね。


今治城にいらっしゃる高虎公ファンの方々は、高虎公の魅力を熱く語り、ミュージアムショップで販売している高虎公グッズを購入されます。


数ある高虎公グッズのなかに、藤堂高虎の甲冑パネルキーホルダーや
バリィさんが高虎公に扮しているコルク製コースターがあります。





甲冑パネルキーホルダーやバリィさんがかぶっているカブトの形に、ギョッとしませんか。


このような形だと、近くにいる味方も危険だったろうな…と想像され、装着している高虎公ご本人もカブトから左右にのびた〈うさ耳〉のバランスが取り辛かったことでありましょう。


戦場では使用せず儀式だけで使ったとしても、おつきの従者や家臣は大変だったろう。と想像はふくらむばかりです。



「歴史人№77」より



目立ちすぎるこのカブト、高虎公の好みなのでしょうか。

下記のような遺言を息子に残す高虎公が、こんなに派手なカブトを好むとは思えず、調べてみました。



「今治城の謎」メイドインしまなみ事務局より



やはりこのカブト、豊臣秀吉から拝領したカブトだと伝わっているそうです。

なるほど。拝領物ならば、ありがたく着用せねばなりませんね。




この黒漆塗唐冠形兜(くろうるしぬりとうかんなりかぶと)は、三重県伊賀市の伊賀上野城の天守閣に展示されています。
※このブログを書いたあと、【うさ耳カブト】を見に伊賀上野城へ行ったときのブログがあります。よろしければご覧ください。
クリックすると開きます → 藤堂高虎公と伊賀上野城


唐冠形兜をかぶった姿の藤堂高虎公の銅像は、三重県の県庁所在地の津市・津城跡へ行けば見ることができます。


このころ唐冠型のカブトは流行だったのですが、高虎公のうさ耳のように左右に突き出てる脇立が、これほどまでケタ外れに長く作られているのは他になかったようです。


余談ですが、


高虎公はとても体格に恵まれた男だったようなので、この時代の男の身長が150㎝より少し大きいくらいだったことを考えると、このカブトのうさ耳が周りの人たちに当たることはなかったようです。



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