こんにちは。
昔からあるハレの日の料理のひとつに、ちらし寿司があります。
せめてハレの日ぐらいはごちそうを…と考えた人々が、寿司の具を酢飯の下に隠して盛りつけたのがはじまりだそうで、「隠し寿司」とも呼ばれているそうです。
領地の民に絶大な影響力を発揮するお殿さまは、日々どのようにお過ごしだったのでしょうね。
今治城にいらっしゃる高虎公ファンの方々は、高虎公の魅力を熱く語り、ミュージアムショップで販売している高虎公グッズを購入されます。
甲冑パネルキーホルダーやバリィさんがかぶっているカブトの形に、ギョッとしませんか。
このような形だと、近くにいる味方も危険だったろうな…と想像され、装着している高虎公ご本人もカブトから左右にのびた〈うさ耳〉のバランスが取り辛かったことでありましょう。
戦場では使用せず儀式だけで使ったとしても、おつきの従者や家臣は大変だったろう。と想像はふくらむばかりです。
「歴史人№77」より |
やはりこのカブト、豊臣秀吉から拝領したカブトだと伝わっているそうです。
※このブログを書いたあと、【うさ耳カブト】を見に伊賀上野城へ行ったときのブログがあります。よろしければご覧ください。
唐冠形兜をかぶった姿の藤堂高虎公の銅像は、三重県の県庁所在地の津市・津城跡へ行けば見ることができます。
このころ唐冠型のカブトは流行だったのですが、高虎公のうさ耳のように左右に突き出てる脇立が、これほどまでケタ外れに長く作られているのは他になかったようです。
余談ですが、
高虎公はとても体格に恵まれた男だったようなので、この時代の男の身長が150㎝より少し大きいくらいだったことを考えると、このカブトのうさ耳が周りの人たちに当たることはなかったようです。
このころ唐冠型のカブトは流行だったのですが、高虎公のうさ耳のように左右に突き出てる脇立が、これほどまでケタ外れに長く作られているのは他になかったようです。
余談ですが、
高虎公はとても体格に恵まれた男だったようなので、この時代の男の身長が150㎝より少し大きいくらいだったことを考えると、このカブトのうさ耳が周りの人たちに当たることはなかったようです。
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