今治城は、昨日で年内の開館を終えました。
今日から3日間(12月29日~31日)は年末恒例の休館日になっています。ご注意ください。
今年も一年間、大変お世話になりました。
来年もよろしくお願いいたします。
元旦から開館です!
プレゼント企画や、新商品(新「御城印」)も用意しています。
※点数限定あり。ご注意ください。
それでは、よいお年をお迎えください!!
今治城は、昨日で年内の開館を終えました。
今日から3日間(12月29日~31日)は年末恒例の休館日になっています。ご注意ください。
今年も一年間、大変お世話になりました。
来年もよろしくお願いいたします。
元旦から開館です!
プレゼント企画や、新商品(新「御城印」)も用意しています。
※点数限定あり。ご注意ください。
それでは、よいお年をお迎えください!!
こんにちは。
現在開催中の企画展「江戸時代 のぞいてみよう! お侍さんの仕事」は、今週末の12月19日(日)が最終日です。
(´;ω;`)ウッ…
見どころ紹介は、今回が最終回になります。
※前回までの見どころ紹介は以下をクリックしてください。
今回は、お侍さん(武士)が働いている時に、実際に持っていたモノ、使用していたモノをご紹介します。
武士は、本来は軍事を担当する身分の人たちでした。
しかし江戸時代では、社会の統治も武士が担当し、結果的に戦いがほとんど無い時代だったので、武士の仕事は今の公務員のような行政職が主になりました。
そんな仕事内容をほうふつとさせるものを展示しています。
参勤交代で、将軍のおひざ元の江戸(現在の東京)に滞在していた武士が持っていたメモ帳です。
資料名:政務関係留帳 |
大きさは、縦6.5㎝、横16.5㎝でとても小さいです。
常に携帯し、メモしたり、内容を確認したりしていたのでしょうか。
「江戸城に藩主(自分の殿様)が出仕する時に足袋を着用させてほしいお願いをした」など、当時のしきたりがうかがえる興味深い内容が書かれています。
また、当時の武士の役職の一つに、記録を取ったり文書の下書きをする「書役(かきやく)」や、清書をする「右筆(ゆうひつ)」がありました。
右筆の人たちが使っていた参考書の一つも展示しています。
資料名:武鑑 |
これは「武鑑(ぶかん)」といって、大名や幕府の役人の名鑑です。
仕事上、必要な情報だったのでしょう。
そして、珍しいモノが今治藩士の家に伝わっていました。
資料名:徳川家茂御内書 |
江戸幕府の将軍だった第14代:徳川家茂(とくがわ いえもち)の文書の原本です。
ホンモノですΣ(・□・;)
立派な大きな紙に書かれています。
なぜ、一地方の普通の武士の家に、全国の武士の頂点に立つ将軍の文書が伝わったのでしょうか?
この文書は、将軍家茂から当時の今治藩主だった松平勝道(9代藩主)に宛てて、献上された衣服の返礼を述べたものです。
そして、この文書を伝えた藩士は、当時、今治藩で「書役」の職を勤めていました。
おそらくこの文書は、幕府と今治藩との間でやり取りされた公式のものとして取り扱われ、「書役」の一員だった藩士が、仕事上の都合で手元に置いていて、そのまま、その藩士の家に保管されたままになったのかもしれません。
「書役」という役職だった故に起こった、面白い伝来の仕方だと思われます。
以上、全4回にわたって企画展「江戸時代 のぞいてみよう! お侍さんの仕事」の見どころを紹介してきました。
関心を持っていただけましたら幸いです。
会期は残り僅かですが、ぜひご来城、ご観覧ください。
よろしくお願いいたします。
学芸員T.F
この度、今治城ホームページの「おしらせ」欄にて、今治城の収蔵資料の一部である「池田家文書」の目録を公開しました。
みなさまにご活用いただけますと幸いです。
今治城天守内で開催中の令和3年度 企画展「新収蔵品展―令和2年度収蔵資料―」の開催にあたって、次のようなメッセージを発信しました。
“博物館”としての今治城では、今治城の紹介とともに、地元地域のものを中心として、歴史や文化、自然や美術に至るまで、幅広い分野の資料=文化財を収集し、守り、伝えています。
今治城は、今治市域の歴史や文化を伝える地域博物館としての役割をになっており、これまで地域にまつわる数多くの資料を収集してきました。
収集した資料は、展示や図録の発行などを通してみなさまに紹介しています。しかし、これらの方法で紹介できる収蔵品の数には限界があります。
そこで今回、これまでの事業では紹介しきれていなかった収蔵品の情報公開のため、目録を公開することとなりました。
目録公開の第一弾は、いち早く公開の準備を整えることのできた「池田家文書目録」です。池田家文書は、旧今治藩士池田家に伝来した古文書・記録類188点(162件)で、知行宛行状などの近世文書のほか、書簡や地券を中心とした明治期の文書も含まれています。
延享元年(1744)9月27日付「松平定郷知行宛行状」(池田家文書160) 今治藩5代藩主松平定郷が家臣の池田善右衛門に宛てた知行宛行状。父弥次右衛門の家督相続として知行(給料)50石を与える旨が記されており、日付の下に定郷の名前と花押(サイン)が据えられている。 |
「池田家文書目録」をはじめの一歩として、今後は全ての所蔵品目録の公開を目指していきます。また、今回はホームページの「おしらせ」欄を間借りしての公開ですが、利用者のみなさんにとってより使いやすくするため、専用ページの開設や外部データベースの活用も検討しています。
なお、池田家文書の一部は、企画展「江戸時代 のぞいてみよう! お侍さんの仕事」(会期:2021年10月2日~12月19日)で展示しています。ぜひご来館ください。
企画展のご案内→ 企画展「江戸時代 のぞいてみよう! お侍さんの仕事」
学芸員M🐥
こんにちは。
※前回までの記事はこちら
第1回 2つの甲冑(よろい)
☞ https://imabarijo.blogspot.com/2021/11/blog-post.html
第2回 武士の正装 裃(かみしも)
☞ https://imabarijo.blogspot.com/2021/11/blog-post_16.html
将軍は、全国各地の大名(だいみょう。広い領地を支配していた武士。藩主(はんしゅ)のこと)を支配するために、大名に対し、将軍のいる江戸(えど。現在の東京)に定期的に参勤することを定めていました。
「参勤交代(さんきんこうたい)」という制度です。
大名は、付き従う家臣たちと共に江戸に上り、江戸にあった屋敷に滞在しました。それが江戸屋敷です。
この絵図は、今治地方を治めていた今治藩(いまばりはん)の江戸屋敷の平面図です。
やや細長い敷地の真ん中にある黄色で示された建物が、大名(藩主)が滞在する「御殿(ごてん)」です。
たくさんの部屋がある大きな建物です。
御殿は、藩主やその家族の住居であると共に、藩の江戸での仕事場(オフィス)も兼ねていました。
御殿の周りを、青色や白色で示された細長い建物が囲っています。
この建物は長屋(ながや)でした。
いくつもの部屋に区切られていて、藩主に従う家臣たちはここに住んでいました。
その多くは単身赴任でした。
中央に御殿。その周囲を家臣たちが住む長屋が囲うという配置は、各藩の江戸屋敷の通例でした。
しかし、身分によって与えられる部屋が異なっていました。
この屋敷の長屋では、この広さの部屋が一番多いようです。
今のワンルームマンションの普通の部屋より少し狭いでしょうか。
広いですね! ゆったりと暮らせそうですね!
世古さんは当時、今治藩の重臣でした。
部屋自体は普通の広さですが、8、9名でですからね。。1名あたり2畳弱。
ほぼ寝る所しかない広さ。かなり狭いです!
非日常の合宿の時なら楽しいかもしれませんが、長期の日常生活ですからね。。。
人間関係は密になりそうですが。。。
同じ組織のお侍さんの生活空間にも、いろいろあったということがわかります。
今回はここまでです。
次回の見どころ紹介もお楽しみに!!
学芸員F
こんにちは。
開催中(12月19日まで)の企画展「江戸時代 のぞいてみよう! お侍さんの仕事」の見どころ紹介・第2回目です。
※前回の記事はこちら ☞ https://imabarijo.blogspot.com/2021/11/blog-post.html
お侍さん(武士)といえばこの服!という衣服を展示しています。
(最近は放映が少なくなりましたが)時代劇でもおなじみのもの。
名前は裃(かみしも)といいます。
名前の由来は、同じ布質、同じ色の上衣(じょうい)と下衣(かい)のセットを上下(かみしも)と呼んだことに因むそうです。
展示の裃も、上下で同じ布質、色になっています。
また、肩の部分がピンと横に張った特徴的な形。
興味深いことに、布の間に、くじらの髭(ひげ)を入れて張らせているようです。
この服は、登城する時や、公式の行事の時などに着用する、武士の正装です。
ところで、調査中に今治城の職員(身長177㎝)が横に立ってみました。
・・・裃が小さいですね。
※この写真もパネル展示をしています。
実は、江戸時代の男性の平均身長は155~156㎝くらいだと考えられています。
おそらく、この裃を着た人も同様の身長だったと思われます。
実物のモノによって、現在と昔とを比較すると、
「似ているな。変わってないな」ということや、
「今とは違っているな」ということを、
より強く実感することができます。
私も調査時に、その感覚を持ちました。
企画展の見どころ紹介は、まだ続きます。
次回をお楽しみに!!
学芸員F
こんにちは。
現在、今治城ではいくつかの企画展示が行われていますが、
そのうち、12月19日(日)まで開催の企画展『江戸時代 のぞいてみよう! お侍さんの仕事』について、見どころを何回かに分けてご紹介したいと思います。
最初に、2つの甲冑(よろい)を並べました。
この2領(りょう。甲冑の単位)を比べて見ると、どんな印象を持たれるでしょうか?
2領とも、江戸時代の今治地域を治めていた今治藩(いまばりはん)の武士(ぶし。お侍さんのこと)の甲冑です。
一方は、今治藩の中で最高の家臣である「家老(かろう)」を勤めた家のもの。
![]() |
今治藩の家老の甲冑 |
もう一方は、下級の武士のもので、武士自身が所有せず、藩が貸し与えたもの(いわばレンタル甲冑)です。
![]() |
今治藩の下級武士が借りた甲冑 |
同じ今治藩の武士のものですが、地位や身分が違う人のものです。
これらの甲冑の比較から、武士と言っても様々な人たちがいたことや、彼らの間にあった違いなどを感じ、思いをはせていただければと思っています。
この他の展示については、以後、少しずつご紹介していきます。
お楽しみに!!
学芸員F
こんにちは。
今治城にも行楽シーズンがやってまいりました。
こちら四国の今治では10月になっても夏のような暑さで、秋の気配を感じることなく過ごしておりました。中旬になり突然冬のように冷え込み、ようやく今週あたりから秋らしい気候です。
いつもなら(今治城の展望台から見える)石鎚山の木々も紅葉🍁が始まっているころなのですが、ねんのためいの町観光協会☎088-893-1211に問い合わせました。
今年は10月上旬まで暑さが続き、朝晩の寒暖の差が激しくなるのも遅かったので、例年より色づくのが遅いそうです。また、夏の長雨のせいで紅葉することなく枯れてしまった樹もあるということです。
長く続いたコロナ禍のなか、移動も制限されてきましたが、日常生活の習慣として身に付いた感染予防をしながら、大自然のなかに身を置くのもいいかもしれません。
さて先日、今治城が朝日新聞出版の『歴史絶景』迫力の絶景スポット100の表紙を飾りました。
今治城が表紙になっただけでも驚き(゚д゚)!ですのに
見開き1ページ(66・67ページ)を使って今治城が掲載されています。
犬走りへの入口付近から撮影 |
犬走りの草刈り |
命綱を装着し石垣の草を刈る |
これらの写真を撮ったあと犬走りは完全に水没し、松の根元も海水に浸かりました。今治城の松は、海水にどっぷりつかっても枯れることなく元気です。
松が乾燥や塩に強いとはいえ、砂地は小さな苗木にとって過酷な環境。全国の海岸にも松林がありますが、これらは自然に生えたのではなく、人の手によって植林されました。
苗木のまわりに防風垣を作り、砂の表面にわらを敷き、遠くから水を運んで撒(ま)いたりして、人が手間ひまかけて大事に育てたのです。
来城されたとき、そこらへんのことに思いをはせながらご覧いただけると興味深いかと思われます。
こんにちは。
九月も半ばとなりました。
みなさま🌞夏の疲れは出ていませんか?
昨年から続くキュウクツな自粛生活やコロナワクチン接種などで、今年は特別に厳しい夏でしたね。
昔から「暑さ寒さも彼岸まで」と言う通り、朝晩は過ごしやすくなりました。日本に接近中の台風が今週末に列島を移動するので、暴風・大雨に要警戒です。どうぞ、お気を付けください。
今日の山里櫓(犬走りから撮影) |
さて、8月14日(土)から臨時休館していた今治城は、9月13日(月)から再開しております。新型コロナウイルス感染拡大防止のために臨時休館したのは、今回で三度目でした。
一回目 2020年4月21日~5月11日
二回目 2021年4月22日~5月19日
三回目 2021年8月14日~9月13日
前回まで臨時休館中の今治城の様子は、ブログでお伝えしてていたのですが、今回は今治城公式Twitterにて今治城をお伝えしました。
ツイッターで動画発信をするために今治城を🔰動画撮影したのですが、その動画を見ると、写真や文章では伝えられない今治城が映っていました。
なので、こちらのブログでも動画を皆さまにご覧いただきたい!とおもい、動画の追加・アップロード画面を操作しましたら…
ファイルサイズの上限を超えました。選択をいくつか解除してください。
と表示され、動画をブログに掲載できずにいます。
ブログを読んでくださる皆さまに、どうにかして動画をお届けしたく、只今、新人学芸員Mが試行錯誤中。
今のところ動画掲載はムリなので、7/8/9月に撮影した写真📷をお届けさせてください。
7月25日 ぐるぐる泳ぐ堀の魚たち |
7月28日 今治城駐車場から撮影 |
8月4日 堀の水面にうつる天守と山里櫓 |
8月24日 武者姿ではなく、着物姿の藤堂高虎公の像 |
9月2日 江戸時代からの石垣(野面積み) |
9月2日 江戸時代からの石垣を接写 |
9月8日 秋晴れの天守 |
7月に🔰ツイッターが開設されて2か月の間、ブログから離れてみて気が付いたことがいくつかあります。
【ツイッター】は、利用者がリアルタイムに最新の情報を得たり、情報の拡散性には優れているのですが、
★古い投稿は新しい投稿に埋もれ、前の投稿を探し出して視聴するのが難しい。
★リツイートなど、他の情報も表示されるので、大量の情報の中に今治城のツイートが埋もれてしまう。
★情報内容の消費が、とても早いように感じる。
★140文字の字数制限があるので説明不足になりがち。
以上のことを🔰ツイッターを経験して感じました。
これからは【ブログ】と【ツイッター】それぞれの長所を活かしながら今治城を発信することができれば幸いです。
これからもよろしくお願いいたします。
A
こんにちは。
先月、藤堂高虎公ゆかりの地・三重県津市から観光ポスターが届きました。
図柄は、津城跡の公園内に建つ、藤堂高虎公の騎馬像です。
こんにちは。
これまで、このブログにおいて、3回にわたって今治城の石のふしぎについてお伝えしてきました。
1.今治城の石に、何か付いています。 #おうちでバリミュ (2021年4月26日)
☞https://imabarijo.blogspot.com/2021/04/blog-post_26.html
2.今治城の石のふしぎ ① (2021年7月28日)
☞https://imabarijo.blogspot.com/2021/07/blog-post_28.html
3.今治城の石のふしぎ ② 今治城の石はどこから運んだの? (2021年8月3日)
☞https://imabarijo.blogspot.com/2021/08/blog-post.html
「今治城の石垣には、貝殻(かいがら)が付いている石がたくさんある」というふしぎについて、その理由を考えてきました。
前回のブログ(2021年8月3日付)では、
今治城の石垣には、花崗岩(かこうがん)、ついで大理石(だいりせき)が多く使われていて、
これらの石は、瀬戸内海の大三島(おおみしま)、小大下島(こおげじま)、岡村島(おかむらじま)辺りで切り出され、海を渡って運ばれてきた可能性が高いと紹介しました。
![]() |
今治城と、大三島・小大下島・岡村島の場所 ※朱線で囲っています |
このことは、
「今治城の石垣には、貝殻(かいがら)が付いている石がたくさんある」ことの、
まさに一番の理由だと思います。島の岩石を切り出す時、
運びやすさを考えて、海近くにある岩石を優先的に切り出したのだと思います。
岩石は海水に浸っていたために、海の貝が付いていて、そのような岩石が切り出されて運ばれたものと思われます。
運ぶ途中に石を海際に置いていた時に、貝がひっついた場合もあるかもしれません。
・・・これが、現在考えられる中で、一番可能性が高い理由です。
・・・ついに、答えにたどり着きました!!
(遅くなってごめんない)
でも、何でわざわざ、島から海を渡って運んだの?
もっと近くの、陸地から運べば良かったんじゃないの?
・・・という疑問が湧くかもしれません。
その答えは、今治城の立地と、船の輸送能力が関わっていると思っています。
下の写真をご覧ください。
![]() |
海に接する今治城(手前) 石を切り出した候補地の大三島(朱字)をはじめ、島々とは海でつながっている。 |
今治城は、海に接して造られています。
現在の今治城の四方は市街地化されていますが、昔は城の一部でした。
現在の今治港は、かつての城内の港(=舟入。ふないり)の位置にあたります。
海に接していたために、海を利用して物を運ぶと、とても便利でした。
水には浮力があるために、たくさんの重い物でも船や筏(いかだ)に積むことができ、かつ、一度に運ぶことができるからです。
現在でも、大量の物資を運ぶときには、タンカーやコンテナ船などの大きな船が使われます。
それと同じです。
今治城の立地を踏まえて石の集め方を考えた時、
「海を利用して石を運んだ方が便利」と判断した可能性は大きいと思います。
実は、今回お話ししたことと非常に関わりの深い内容の昔話が、今治地方に伝わっているのでご紹介します。
![]() |
今治城の石垣づくりに関わる昔話。 ※今治城の自然科学館にパネル展示しています。 |
いかがですか。
石を集めるための「賢さ」がとても面白く、この話の肝(きも)なのですが、
ここでは、「石を船で運んでくる」という前提になっているところに注目してください。
これは昔話なので、事実がそうだったと断定することはできません。
しかし、実際に今治城の石は海を渡って船で運ばれた事実があり、その事実を基にして昔話が作られた可能性は大いにあると思います。
以上、全4回にわたって、今治城の石のふしぎを考えてきました。
「今治城の石垣には、貝殻(かいがら)が付いている石がたくさんある」
このふしぎには、今治地域の自然環境や、城づくりの方法が深く関わっていたと思います。
色々な話が関わってくる、とてもおもしろいトピックなのでした。
興味を持っていただけたら幸いです。