2021年11月27日土曜日

見どころ紹介 企画展「お侍さん」③ 江戸での仕事場と住居

こんにちは。

開催中の企画展「江戸時代 のぞいてみよう! お侍さんの仕事」の見どころ紹介・第3弾です。
 

※前回までの記事はこちら

1回 2つの甲冑(よろい)

☞ https://imabarijo.blogspot.com/2021/11/blog-post.html

2回 武士の正装 裃(かみしも)

☞ https://imabarijo.blogspot.com/2021/11/blog-post_16.html

 

1枚の大きな絵図の複製を、ボードに貼り付けて紹介しています。
これは「今治藩江戸屋敷図(いまばりはん えどやしきず)と名付けている絵図です。




江戸時代は、お侍さん(武士)のトップだった将軍(しょうぐん)が全国を支配していました。

将軍は、全国各地の大名(だいみょう。広い領地を支配していた武士。藩主(はんしゅ)のこと)を支配するために、大名に対し、将軍のいる江戸(えど。現在の東京)に定期的に参勤することを定めていました。

「参勤交代(さんきんこうたい)」という制度です。

 

大名は、付き従う家臣たちと共に江戸に上り、江戸にあった屋敷に滞在しました。それが江戸屋敷です。

この絵図は、今治地方を治めていた今治藩(いまばりはん)の江戸屋敷の平面図です。




部屋の一つ一つを描いてくれています。

 

やや細長い敷地の真ん中にある黄色で示された建物が、大名(藩主)が滞在する「御殿(ごてん)」です。

たくさんの部屋がある大きな建物です。

御殿は、藩主やその家族の住居であると共に、藩の江戸での仕事場(オフィス)も兼ねていました。

 

御殿の周りを、青色や白色で示された細長い建物が囲っています。

この建物は長屋(ながや)でした。

いくつもの部屋に区切られていて、藩主に従う家臣たちはここに住んでいました。

その多くは単身赴任でした。

 

中央に御殿。その周囲を家臣たちが住む長屋が囲うという配置は、各藩の江戸屋敷の通例でした。

 江戸屋敷の中の長屋は、多くの武士たちにとって、江戸での生活空間だったわけです。

しかし、身分によって与えられる部屋が異なっていました。




 例えば、家臣の一人、竹本治兵衛(たけもと じへえ)さんの部屋の広さは、8畳+土間?4畳=21.7㎡でした。

この屋敷の長屋では、この広さの部屋が一番多いようです。

今のワンルームマンションの普通の部屋より少し狭いでしょうか。

 


世古万右衛門(せこ まんうえもん)さんの部屋は、
20+土間?10畳=54.7㎡の広さがありました。

広いですね! ゆったりと暮らせそうですね!

世古さんは当時、今治藩の重臣でした。



 

 一方で、「歩行格(かちかく)」という下級武士の役職の人の部屋は、89名で12+土間?6畳=32.5㎡でした。

部屋自体は普通の広さですが、8、9名でですからね。。1名あたり2畳弱。

ほぼ寝る所しかない広さ。かなり狭いです!

非日常の合宿の時なら楽しいかもしれませんが、長期の日常生活ですからね。。。

人間関係は密になりそうですが。。。

 

同じ組織のお侍さんの生活空間にも、いろいろあったということがわかります。

 

今回はここまでです。

 

次回の見どころ紹介もお楽しみに!!


学芸員F