こんにちは。
持久走大会の季節になりました。
今治城がある吹揚公園で、12月4日今治城の隣にある吹揚小学校の持久走大会がありました。スタートは藤堂高虎像がある吹揚公園。堀のまわりを走り、堀に架かる土橋を通って吹揚公園がゴールです。
9時過ぎたころ、吹揚公園から「5・6・7・8!」と児童の声が聞こえてきました。
お昼前まで、低学年・中学年・高学年それぞれ別のコースを、力いっぱい走っていました。
さて、今治城の天守にある管理事務所は、13人のシルバーさんが順番に窓口業務を担当します。
先日、お当番のHさんがF学芸員に質問しました。
「廃城令が出たのに、現存天守が12も残ったのはどうして?〈廃城令=城を壊せ〉という政府の命令だと思っていたので不思議に思っていた」と。わたしも同じく、そう思っていましたので、そこらへんを調べてみました。
廃城令のずっと前、江戸時代の1615年「一国一城令」によって、城は原則として各藩の藩主が居住する城一つと決められました。その趣旨は、直後に発布された「武家諸法度」のなかでも強調されたため、戦国時代からあった、たくさんの城が激減したそうです。戦国時代には目的別の城が作られたので、城数は戦国時代がピークでした。
そして、明治6(1873)年の「廃城令」で全国の城が
〈存城〉と〈廃城〉に分けられました。
〈廃城〉となった城は大蔵省の所管となり、学校用地や公園などに転用されたり、櫓や門などは神社や寺に移築されたり再利用されることもありました。ちなみに、愛媛県立西条高校は西条陣屋跡にあり、校門は大手門だそうです。
〈存城〉となった城でも、天災や戦災などいろいろな理由で現在まで残れなかった城がたくさんありました。
このような、もろもろの経緯をたどりながら
現在まで残った天守が下記の現存12天守です。
弘前城 青森県
松本城 長野県
犬山城 愛知県
丸岡城 福井県
彦根城 滋賀県
姫路城 兵庫県
備中松山城 岡山県
松江城 島根県
丸亀城 香川県
松山城 愛媛県
宇和島城 愛媛県
高知城 高知県
現存12天守のうち、4天守が四国にあります。
gakken『日本100名城公式ガイドブック』現存天守の位置に赤●をいれました。 |
またの機会に、12の天守が奇跡的に現存できたいきさつを
一つずつ調べてお伝えしたいと思います。
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