2014年12月26日金曜日

「自然科学館」について

こんにちは。

年の瀬が押し迫ってきましたが、いかがお過ごしでしょうか。

お城の中の展示というと、歴史にまつわるものを想像しますが、今治城には「自然科学館」という展示室があります。

この近くの地域で採取された動物や植物の標本のほか、市民が収集した世界の珍しい貝や動物の標本などもあります。

自然科学館の入り口。天守の2階から入ることができます。

自然科学館の中の様子。

※現在、展示替え中のため、作業スペースを設けています(写真右下)。
ご迷惑をお掛けしております。




お城の中に何でこんな展示室が?とびっくりされる方も多いのですが。。
その理由は、再建された今治城は、今治地域の総合博物館のような施設として出発したからなのです。天守を再建した際、その内部に歴史の展示室とともに自然の展示室も設けられました。




ここには、たくさんの貴重な資料を展示しています。
例えば、近くの瀬戸内海の海の底から引き揚げられた、ナウマンゾウの化石があります。


ナウマンゾウの化石

体のいろいろな部位の化石です。
さすがにゾウさんです。一つ一つが大きいです。


 なぜ、海の底から動物の化石が?と思われるかもしれません。

かつて瀬戸内海は水位がもっと低くて、陸地がたくさんあり、たくさんの動物や植物が生息していました。その後、水位が上がって現在のような海が出来た時、動物の骨は海底に取り残されてしまったのです。

ナウマンゾウの化石は、この地域の自然の歴史も物語っているのです。


ところで「自然科学館」では、現在、展示替えが進行中です。

その目玉の一つが、「今治城の自然」コーナーの新設です。
今治城は、海水の堀、瀬戸内海の島から運ばれた石、希少な動植物など、自然の話題も豊富なのです。

これらを立体的に示すため、石垣と堀のジオラマを製作中です。腕に覚えがある職員の手作りです。



ジオラマの石垣の部分

少し離れてみると、本物の石垣に見えます。
完成が楽しみです。

来年に完成予定です。
ご期待ください!!



今治城は、年内は1228日(日)まで営業しております。
新年は、11日(木・祝)から開館します。

よろしくお願い申し上げます。


2014年12月2日火曜日

展示替えで登場した城絵図

 こんにちは。

 昨日から急に寒くなりました。本格的な冬がやってきたようです。

 この気候の変わり目とタイミングを合わすかのように?一昨日(1130日)いっぱいで、天守2階で開催していた特別展「築城の名手 藤堂高虎の城めぐり」が終了しました。
 ご観覧いただき、誠にありがとうございました。

 そして昨日、展示替えを行い、今治城の絵図3点とビデオコーナーを設置しました(特別展期間中、お休みしていたモノです)。

 昨日から展示し始めた絵図3点は、それぞれ面白い特徴があります。

伊予今治城之図(右側)と今治城絵図


 まず、上の写真の右側の絵図「伊予今治城之図」は、1685年に作成されました。今治城が出来て80年後の頃です。
 この絵図は今治城で修理したいところを赤字で記したものです。石垣が崩れたとか、堀に泥が溜まった、など。その数は多く、当時は多くの箇所が傷んでいたのでしょうか?

 次に、左側の絵図「今治城絵図」は1779年作成です。
 この絵図では、城内に住んでいた今治藩士の名前と屋敷の大きさが正確に描かれています。
藩士の総数は約300名。当時の今治藩士の誰が、どこに住んでいたのかがわかる、大変貴重なものです。

旧今治城郭全図

 
 3点目は「旧今治城郭全図」で、およそ1870年代に元今治藩士によって描かれたものです。
 当時は既に城の建物は全て壊されていましたが、その直前の姿を回想して描いています。
 回想して描いているので正確では無い表現もあるのですが、建物の立体的な形や、城の周りを囲む土手に松林が繁っている様子など、他の絵図には無い情報がたくさん盛り込まれています。

 このように、3点の絵図それぞれに面白い情報が詰まっています。
 
 寒くなり、外に出掛けるのがおっくうな季節になりましたが、ぜひ足を運んでいただき、ご鑑賞いただければ幸いです。



2014年10月31日金曜日

勘兵衛石

 こんにちは。

 秋らしい日が続いています。朝晩の冷え込みが徐々に身に染みるようになりました。

 さて前回のブログでは、今治城の正門である鉄御門の前にあった幻の城門についてご紹介しました。
 今回も、鉄御門の近くにある気になる“もの”をご紹介します。

 
 今治城に入るために土橋をまっすぐ登っていくと、突き当りの正面の石垣の中にひときわ大きな石があります。

土橋をまっすぐ進んでいきます。前回の写真の使い回し・・・



近づいてきましたよー。そして、正面に見えるのが・・
 

この石。



  「勘兵衛石(かんべえいし)」と呼ばれています。
  今治城で一番大きな石です。

 「勘兵衛」とは、今治城を築いた藤堂高虎の重臣、渡辺勘兵衛のこと。今治城の築城総奉行であったと伝わっています。

 石の大きさは、およそ、縦2.4メートル、横4.6メートルですので、大人が何人もすっぽり入ってしまうほどの大きさです。
 しかし表面の広さに比して、厚さは約60センチメートル。表面だけが大きいとても薄っぺらい形です。
 それでも、重さは16.5トンもあるのですが。


 これは、鏡石(かがみいし)と呼ばれる石の形です。鏡のように表面が平らな石という意味です。
 鏡石は巨石であることがほとんどで、他の城でもよく使われているものです。
 
  城の目立つ場所に設置されることが多く、城主の力の大きさを誇示するためと考えられています。



 さらには、勘兵衛石をはじめとして、鉄御門の近くで使われている石は、今治城の他の所の石と比べて大きいのです。
 これも、“見せる”ためのものでしょう。

門の右側にある石とか。人の背丈より大きいですよ。
左前方が勘兵衛石です。
 
 さすが、今治城の正面玄関。見栄っ張りです。
 
 ご来城いただいた時、城主の意図を酌んで、ぜひご覧いただければと思っております(笑)





2014年10月11日土曜日

再建していない大事な城門

 こんにちは。

 大型の台風が近づいていますが、本日はまだ好天です。

 今治城に入るメインルートは、水堀を横断するまっすぐな土橋を渡り、突き当りを右に折れ曲がって、扉に黒い鉄板を貼った鉄御門(くろがねごもん)をくぐります。


土橋から鉄御門方向を見る。



 その鉄御門の手前に、実はもう一つ、城門があったのです。


 明治時代初期に焼失し、現在は緊急時の城内への車両通行の妨げになるため、残念ながら再建していません。

 その代わり、かつての城門の両脇の石垣跡に灰色のペイントをし、解説板を設置しています。


鉄御門の手前の道路にある灰色のペイント。城門脇の石垣の跡です。
灰色のペイントが微妙に波打っているのは、ミスではありません。石垣の形をリアルに再現しました。


 城門は、高麗門(こうらいもん)と呼ばれる形のものでした。

 丸亀城(香川県)の大手口には江戸時代の高麗門(大手二の門)が現存しています。今治城にもこのような門が建っていたのです。

丸亀城(香川県)の大手二の門


 ここは、今治城の中心部への入り口にあたります。

 高麗門とその奥の鉄御門という、2つの城門を連続させて守りを固めています。

 さらに、2つの城門の間で進路を屈曲させ、まっすぐ城内に侵入できないようにしています。


高麗門跡(手前)と、鉄御門(右奥)


 2つの城門に阻まれて行き詰った敵兵に対しては、周囲の長屋状の櫓(多聞櫓:たもんやぐら)から攻撃を加えることができました。

高麗門・鉄御門・多聞櫓の略図(屋外解説板より)


 
 この形式は、城の出入口(虎口:こぐち)としては最も守りが固いもので、今治城を築いた藤堂高虎が開発しました。
 鉄御門・武具櫓の中で、ビデオとパネルによって詳しく解説しています。ぜひご覧ください。


 今治城に入る際は、再建していない幻の城門と、藤堂高虎の築城術に思いを馳せていただければと思います。



2014年9月21日日曜日

学芸員による展示解説を行いました。

こんにちは。

921日(日)14時から、天守2階展示室にて、特別展「築城の名手 藤堂高虎の城めぐり」の当館学芸員による展示解説を行いました。





藤堂高虎の築城術や、各城郭の特徴についてご紹介しました。






予定時間を超過する等、不手際があってご迷惑をお掛けしましたが、お集まりいただいたお客様、本当にありがとうございました。

1019日(日)、1116日(日)も同様の催しを行います。
ぜひご参集ください。




2014年8月30日土曜日

海水が出入りする水堀


 こんにちは。
 今日の今治は、いくぶん涼しくて過ごしやすい日になっています。


 今治城の特徴の一つに、堀に海水が出入りしていることがあります。

  堀と海が水路でつながっていて、海側は今治港になります。今治港はかつては城内の港(「船入」ふないり)でした。今治港もお城の一部だったのです。

堀と海をつなぐ水路。水(海水)が流れている様子がわかります。
水路は今治城の北側にあります。

今治港の様子。
水路の口の真上から撮りました。


 ところで、海には潮の満ち引きがあります。特に、今治城の面する瀬戸内海は干満の差が大きいことで知られています。
 上の写真で見た海水の流れも、潮の満ち引きの影響です。

  今日はお昼の午後145分が満潮でした。干潮から満潮になる間は海から堀に向かって海水が流れます。

堀の水路の口から、海水が流れ込んでいます。
わかりにくいかも・・・(・・;)


満潮時、満々と水をたたえる堀。
右側の道路の下に開いている口が水路です。

 海とつながっている故に、堀の水位は潮の干満によって変化するという、今治城ならではの現象も見ることができます。

 そして、堀では海の魚も簡単に見つけることができます。悠々と泳いでいます。


 今治城に来られた時は、「水路」と「堀」にも要注目です!!

2014年8月11日月曜日

特別展「築城の名手 藤堂高虎の城めぐり」を開催中

 こんにちは。

 現在、今治城では、特別展「築城の名手 藤堂高虎の城めぐり」を開催中です。
 
 築城の名手といわれた藤堂高虎が関わった主な城について、城の絵図や写真を用いて、城の形を比較したり、城の形の変化を探ったりしています。
 築城年代順に、以下の9つの城を取り上げています。


宇和島城   (愛媛県)
大洲城     (同)
膳所城        (滋賀県)
今治城        (愛媛県)
篠山城        (兵庫県)
丹波亀山城    (京都府)
伊賀上野城    (三重県)
津城           (同)
大坂城        (大阪府)

 展示はパネルで行っています。

展示風景の一部
 藤堂高虎の関わった城を一斉に並べて比較する試みは、これまで全国的にもされていなかったと思われます。
 築城年代順に見てみると築城術が発達している様子がわかり、興味深いものがあります。

 その中で今治城は、日本の城郭史上でも画期的な構造をいくつか持っていたことを説明しています。
 その構造とは一体何でしょうか?

今治城を説明する展示パネル

 その他の城もそれぞれ、特徴的な構造を備えています。

 最後に展示している大坂城(現在は大阪城と書きます)。豊臣秀吉が築いたことで有名ですが、現在の大坂城は豊臣氏の滅亡後に徳川幕府によって築かれたものです。藤堂高虎はその築城の総指揮を任されていました。

  1130日(日)まで開催しています。
 ぜひご観覧ください。


2014年7月28日月曜日

天守最上階からの景色



 ブログの第1弾として、今治城の天守最上階からの景色をご紹介します。

 ここからは、360度のパノラマ景色が広がります。
 
北方向を見てます。今治港と瀬戸内海が見えます。
さらにアップ。来島海峡と来島海峡大橋が一望できます。

  
 今治城は海に隣接し、来島海峡を間近に望みます。


 来島海峡は瀬戸内海を東西に航行する時の最短ルートに位置します。


築城者である藤堂高虎が、徳川家康の意を受けて、交通の要衝である来島海峡を押さえ、西国の大名の動向を監視する目的で築いたと考えられています。


北東方向から
東方向。瀬戸内海が間近に。
南方向。西日本最高峰の石鎚山がうっすらと。




西方向。今治の市街地を望みます。

 

  ここに立つと、今治城がどんな場所に築かれているか、実感できます。
  今治の市街地の中で、全方位にわたってこれほど展望の良いところは他にはありません。
 
  ぜひご堪能ください!!









ブログを始めました。

  
 こんにちは。

 今治城のご紹介や、今治城の日頃の出来事をお伝えするブログを開始しました。


 よろしくお願いいたします。



今治城 天守と藤堂高虎公の銅像