2014年10月31日金曜日

勘兵衛石

 こんにちは。

 秋らしい日が続いています。朝晩の冷え込みが徐々に身に染みるようになりました。

 さて前回のブログでは、今治城の正門である鉄御門の前にあった幻の城門についてご紹介しました。
 今回も、鉄御門の近くにある気になる“もの”をご紹介します。

 
 今治城に入るために土橋をまっすぐ登っていくと、突き当りの正面の石垣の中にひときわ大きな石があります。

土橋をまっすぐ進んでいきます。前回の写真の使い回し・・・



近づいてきましたよー。そして、正面に見えるのが・・
 

この石。



  「勘兵衛石(かんべえいし)」と呼ばれています。
  今治城で一番大きな石です。

 「勘兵衛」とは、今治城を築いた藤堂高虎の重臣、渡辺勘兵衛のこと。今治城の築城総奉行であったと伝わっています。

 石の大きさは、およそ、縦2.4メートル、横4.6メートルですので、大人が何人もすっぽり入ってしまうほどの大きさです。
 しかし表面の広さに比して、厚さは約60センチメートル。表面だけが大きいとても薄っぺらい形です。
 それでも、重さは16.5トンもあるのですが。


 これは、鏡石(かがみいし)と呼ばれる石の形です。鏡のように表面が平らな石という意味です。
 鏡石は巨石であることがほとんどで、他の城でもよく使われているものです。
 
  城の目立つ場所に設置されることが多く、城主の力の大きさを誇示するためと考えられています。



 さらには、勘兵衛石をはじめとして、鉄御門の近くで使われている石は、今治城の他の所の石と比べて大きいのです。
 これも、“見せる”ためのものでしょう。

門の右側にある石とか。人の背丈より大きいですよ。
左前方が勘兵衛石です。
 
 さすが、今治城の正面玄関。見栄っ張りです。
 
 ご来城いただいた時、城主の意図を酌んで、ぜひご覧いただければと思っております(笑)





2014年10月11日土曜日

再建していない大事な城門

 こんにちは。

 大型の台風が近づいていますが、本日はまだ好天です。

 今治城に入るメインルートは、水堀を横断するまっすぐな土橋を渡り、突き当りを右に折れ曲がって、扉に黒い鉄板を貼った鉄御門(くろがねごもん)をくぐります。


土橋から鉄御門方向を見る。



 その鉄御門の手前に、実はもう一つ、城門があったのです。


 明治時代初期に焼失し、現在は緊急時の城内への車両通行の妨げになるため、残念ながら再建していません。

 その代わり、かつての城門の両脇の石垣跡に灰色のペイントをし、解説板を設置しています。


鉄御門の手前の道路にある灰色のペイント。城門脇の石垣の跡です。
灰色のペイントが微妙に波打っているのは、ミスではありません。石垣の形をリアルに再現しました。


 城門は、高麗門(こうらいもん)と呼ばれる形のものでした。

 丸亀城(香川県)の大手口には江戸時代の高麗門(大手二の門)が現存しています。今治城にもこのような門が建っていたのです。

丸亀城(香川県)の大手二の門


 ここは、今治城の中心部への入り口にあたります。

 高麗門とその奥の鉄御門という、2つの城門を連続させて守りを固めています。

 さらに、2つの城門の間で進路を屈曲させ、まっすぐ城内に侵入できないようにしています。


高麗門跡(手前)と、鉄御門(右奥)


 2つの城門に阻まれて行き詰った敵兵に対しては、周囲の長屋状の櫓(多聞櫓:たもんやぐら)から攻撃を加えることができました。

高麗門・鉄御門・多聞櫓の略図(屋外解説板より)


 
 この形式は、城の出入口(虎口:こぐち)としては最も守りが固いもので、今治城を築いた藤堂高虎が開発しました。
 鉄御門・武具櫓の中で、ビデオとパネルによって詳しく解説しています。ぜひご覧ください。


 今治城に入る際は、再建していない幻の城門と、藤堂高虎の築城術に思いを馳せていただければと思います。