2015年3月6日金曜日

石垣を撮影(定点観測)

こんにちは。

少しずつ暖かくなり、春の訪れを感じるようになりました。
いかがお過ごしでしょうか。

今治城の周囲には高さ9~13mの石垣がめぐっています。

今治城の石垣(南から)

400年前の江戸時代初期、1604年頃に完成したと考えられ、現在に至るまでに、色々な箇所での修復が何度も行われていますが、全体的には江戸時代の石垣であり、築城当時の石垣も少なくない場所で残っているという、大変貴重な遺構です。

石垣は城の守りを固めるために重要で、頑丈に造られているのですが、どれほど頑丈でもいつかは必ず劣化し、壊れます。数百年もの年月を経ていたら猶更です。


病気をきちんと治すためには、「早期発見」することが重要です。
「早期発見」するためには、定期的な健康診断が有効です。


同様の考えのもと、今治城の石垣についても、外見の形状を経過観察するため、石垣の全周の写真撮影を定期的に行っています。
先日、その撮影を実施しました。

撮影の様子①

継時的に同一のアングルの写真が必要なため、撮影の仕方はあらかじめ決まっており、決まった位置から、カメラの高さを一定にして撮影します。

撮影の様子② 垂直に立てているメジャーの目盛に合わせ、カメラの高さを一定にしています。


地道ですが、今治城を守っていくための大事な作業です。


撮影の様子③

その日は風は少々強かったものの、暖かな日差しのもとで調査することができました。

春はもう近いですね。



2015年1月30日金曜日

藤堂高虎の銅像。の足元には・・・

こんにちは。

今日は大変寒い一日です。朝にはうっすらと雪が積もっていました。

お昼になったら雪は無くなりましたが、空はどんよりと曇ったままです。

画面も少し暗いですね。。




さすがに寒い日には来館される方は少なく、今日は城内の公園も人影はまばらです。
本日お越しいただいた方は本当にありがとうございますm(__)m


さて、どんよりと曇った空にも堂々とした雄姿が映える。城内の公園の広場に、ひときわ目を引く銅像があります。

今治城を築いた藤堂高虎の騎馬像です。今治城のシンボルの一つになっています。


今日の藤堂高虎像


晴れていたら、さらに美しく、凛々しい姿を見せてくれます。


カッコいい

日本を代表する彫刻家である中村晋也さんの作品です。
今治城築城・開町400年祭に合わせて、2004年に制作されました。

大変立派な像ですが、その足元にある石畳のスロープにも、ちょっとした遊び心があります。

何が隠れていますか??


ぜひぜひ探してみてください(^o^)丿


2015年1月1日木曜日

お正月

あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

今治城は本日から通常通り開館しております(9時~17時)。


受付では、かわいい門松がお出迎えしています。



今日の今治城は元日にふさわしく、あっぱれな天候です。が、たまに粉雪が舞うなど、寒いです。。。


快晴の空に映える天守。
その前の行列は・・・?



ところで例年のことなのですが、お正月には今治城の前に行列が出来ます。
何の行列でしょうか?


ずっと続いています。


実はこれは、今治城の隣にある吹揚(ふきあげ)神社へ、初詣でに来ている方々の行列なのです。



行列の先にある吹揚神社の拝殿です。


吹揚神社は今治で一番たくさんの初詣客を集める神社です。

今治城が廃城になった後の明治5年(1872)に、城下町やその近郊にあった4つの神社が合わさって一つの神社となり、今治城の本丸跡に移されました。

 吹揚(ふきあげ)とは、今治城がある場所の通称です。海の近くにあり、風で砂が吹き上げられるような場所という意味があります。

今治城も別名「吹揚城」と呼ばれていました。


お正月には、吹揚神社にたくさんの参拝者が来られるのと同時に、今治城にもたくさんのお客さまが来られます。
そのため、この正月の3日間には、城内の公園広場に出店が軒を並べます。
城内全体が賑わった雰囲気になります。

今日の城内広場の様子。


普段とは一味違った今治城の雰囲気を味わいに、足を運ばれてはいかがでしょうか?



2014年12月26日金曜日

「自然科学館」について

こんにちは。

年の瀬が押し迫ってきましたが、いかがお過ごしでしょうか。

お城の中の展示というと、歴史にまつわるものを想像しますが、今治城には「自然科学館」という展示室があります。

この近くの地域で採取された動物や植物の標本のほか、市民が収集した世界の珍しい貝や動物の標本などもあります。

自然科学館の入り口。天守の2階から入ることができます。

自然科学館の中の様子。

※現在、展示替え中のため、作業スペースを設けています(写真右下)。
ご迷惑をお掛けしております。




お城の中に何でこんな展示室が?とびっくりされる方も多いのですが。。
その理由は、再建された今治城は、今治地域の総合博物館のような施設として出発したからなのです。天守を再建した際、その内部に歴史の展示室とともに自然の展示室も設けられました。




ここには、たくさんの貴重な資料を展示しています。
例えば、近くの瀬戸内海の海の底から引き揚げられた、ナウマンゾウの化石があります。


ナウマンゾウの化石

体のいろいろな部位の化石です。
さすがにゾウさんです。一つ一つが大きいです。


 なぜ、海の底から動物の化石が?と思われるかもしれません。

かつて瀬戸内海は水位がもっと低くて、陸地がたくさんあり、たくさんの動物や植物が生息していました。その後、水位が上がって現在のような海が出来た時、動物の骨は海底に取り残されてしまったのです。

ナウマンゾウの化石は、この地域の自然の歴史も物語っているのです。


ところで「自然科学館」では、現在、展示替えが進行中です。

その目玉の一つが、「今治城の自然」コーナーの新設です。
今治城は、海水の堀、瀬戸内海の島から運ばれた石、希少な動植物など、自然の話題も豊富なのです。

これらを立体的に示すため、石垣と堀のジオラマを製作中です。腕に覚えがある職員の手作りです。



ジオラマの石垣の部分

少し離れてみると、本物の石垣に見えます。
完成が楽しみです。

来年に完成予定です。
ご期待ください!!



今治城は、年内は1228日(日)まで営業しております。
新年は、11日(木・祝)から開館します。

よろしくお願い申し上げます。


2014年12月2日火曜日

展示替えで登場した城絵図

 こんにちは。

 昨日から急に寒くなりました。本格的な冬がやってきたようです。

 この気候の変わり目とタイミングを合わすかのように?一昨日(1130日)いっぱいで、天守2階で開催していた特別展「築城の名手 藤堂高虎の城めぐり」が終了しました。
 ご観覧いただき、誠にありがとうございました。

 そして昨日、展示替えを行い、今治城の絵図3点とビデオコーナーを設置しました(特別展期間中、お休みしていたモノです)。

 昨日から展示し始めた絵図3点は、それぞれ面白い特徴があります。

伊予今治城之図(右側)と今治城絵図


 まず、上の写真の右側の絵図「伊予今治城之図」は、1685年に作成されました。今治城が出来て80年後の頃です。
 この絵図は今治城で修理したいところを赤字で記したものです。石垣が崩れたとか、堀に泥が溜まった、など。その数は多く、当時は多くの箇所が傷んでいたのでしょうか?

 次に、左側の絵図「今治城絵図」は1779年作成です。
 この絵図では、城内に住んでいた今治藩士の名前と屋敷の大きさが正確に描かれています。
藩士の総数は約300名。当時の今治藩士の誰が、どこに住んでいたのかがわかる、大変貴重なものです。

旧今治城郭全図

 
 3点目は「旧今治城郭全図」で、およそ1870年代に元今治藩士によって描かれたものです。
 当時は既に城の建物は全て壊されていましたが、その直前の姿を回想して描いています。
 回想して描いているので正確では無い表現もあるのですが、建物の立体的な形や、城の周りを囲む土手に松林が繁っている様子など、他の絵図には無い情報がたくさん盛り込まれています。

 このように、3点の絵図それぞれに面白い情報が詰まっています。
 
 寒くなり、外に出掛けるのがおっくうな季節になりましたが、ぜひ足を運んでいただき、ご鑑賞いただければ幸いです。



2014年10月31日金曜日

勘兵衛石

 こんにちは。

 秋らしい日が続いています。朝晩の冷え込みが徐々に身に染みるようになりました。

 さて前回のブログでは、今治城の正門である鉄御門の前にあった幻の城門についてご紹介しました。
 今回も、鉄御門の近くにある気になる“もの”をご紹介します。

 
 今治城に入るために土橋をまっすぐ登っていくと、突き当りの正面の石垣の中にひときわ大きな石があります。

土橋をまっすぐ進んでいきます。前回の写真の使い回し・・・



近づいてきましたよー。そして、正面に見えるのが・・
 

この石。



  「勘兵衛石(かんべえいし)」と呼ばれています。
  今治城で一番大きな石です。

 「勘兵衛」とは、今治城を築いた藤堂高虎の重臣、渡辺勘兵衛のこと。今治城の築城総奉行であったと伝わっています。

 石の大きさは、およそ、縦2.4メートル、横4.6メートルですので、大人が何人もすっぽり入ってしまうほどの大きさです。
 しかし表面の広さに比して、厚さは約60センチメートル。表面だけが大きいとても薄っぺらい形です。
 それでも、重さは16.5トンもあるのですが。


 これは、鏡石(かがみいし)と呼ばれる石の形です。鏡のように表面が平らな石という意味です。
 鏡石は巨石であることがほとんどで、他の城でもよく使われているものです。
 
  城の目立つ場所に設置されることが多く、城主の力の大きさを誇示するためと考えられています。



 さらには、勘兵衛石をはじめとして、鉄御門の近くで使われている石は、今治城の他の所の石と比べて大きいのです。
 これも、“見せる”ためのものでしょう。

門の右側にある石とか。人の背丈より大きいですよ。
左前方が勘兵衛石です。
 
 さすが、今治城の正面玄関。見栄っ張りです。
 
 ご来城いただいた時、城主の意図を酌んで、ぜひご覧いただければと思っております(笑)





2014年10月11日土曜日

再建していない大事な城門

 こんにちは。

 大型の台風が近づいていますが、本日はまだ好天です。

 今治城に入るメインルートは、水堀を横断するまっすぐな土橋を渡り、突き当りを右に折れ曲がって、扉に黒い鉄板を貼った鉄御門(くろがねごもん)をくぐります。


土橋から鉄御門方向を見る。



 その鉄御門の手前に、実はもう一つ、城門があったのです。


 明治時代初期に焼失し、現在は緊急時の城内への車両通行の妨げになるため、残念ながら再建していません。

 その代わり、かつての城門の両脇の石垣跡に灰色のペイントをし、解説板を設置しています。


鉄御門の手前の道路にある灰色のペイント。城門脇の石垣の跡です。
灰色のペイントが微妙に波打っているのは、ミスではありません。石垣の形をリアルに再現しました。


 城門は、高麗門(こうらいもん)と呼ばれる形のものでした。

 丸亀城(香川県)の大手口には江戸時代の高麗門(大手二の門)が現存しています。今治城にもこのような門が建っていたのです。

丸亀城(香川県)の大手二の門


 ここは、今治城の中心部への入り口にあたります。

 高麗門とその奥の鉄御門という、2つの城門を連続させて守りを固めています。

 さらに、2つの城門の間で進路を屈曲させ、まっすぐ城内に侵入できないようにしています。


高麗門跡(手前)と、鉄御門(右奥)


 2つの城門に阻まれて行き詰った敵兵に対しては、周囲の長屋状の櫓(多聞櫓:たもんやぐら)から攻撃を加えることができました。

高麗門・鉄御門・多聞櫓の略図(屋外解説板より)


 
 この形式は、城の出入口(虎口:こぐち)としては最も守りが固いもので、今治城を築いた藤堂高虎が開発しました。
 鉄御門・武具櫓の中で、ビデオとパネルによって詳しく解説しています。ぜひご覧ください。


 今治城に入る際は、再建していない幻の城門と、藤堂高虎の築城術に思いを馳せていただければと思います。