2016年5月14日土曜日
2016年5月13日金曜日
第1回特別展展示説明会のお知らせ
2016年4月23日土曜日
特別展「高虎と高吉-今治に伝わる藤堂氏二代の足跡-」始まりました!
皆さん、こんにちは。
久々の投稿ですが、ここで1つ告知させて頂きます!
本日(4月23日)より今治城山里櫓において特別展「高虎と高吉-今治に伝わる藤堂氏二代の足跡-」が始まりました!
この特別展は今治城とその城下町を築いた藤堂高虎と、その養子で今治を30年近く治めた藤堂高吉の2人に焦点を当てて、彼らに関係する文化財を一同に集めたものです。
高虎といえば今治城を始め、江戸城や大阪城、愛媛県内ならば宇和島城や大洲城といった多くの近世城郭の築城に関与した事で有名な武将ですが、本特別展ではこれまであまり取り上げられてこなかったもので、且つ今治に関係する史料を中心に選んで展示しています。
さらに注目すべきは高虎の養子で、今治を30年近く治めた藤堂高吉。 彼は織田信長の重臣である丹羽長秀の息子で、幼少時に高虎の養子となった人物です。
武将としても政治家としても有能な人物だったと云われており、今治でも検地や寺社への寄進を行っています。
今回の特別展では、この高吉にも焦点を当てており、彼に関する史料を一同に集めたのはこれが初めてではないでしょうか。
これからゴールデンウィークも控えております。これを機に貴重な文化財を見にぜひ今治城にお越しに下さい。
職員一同お待ちしております!!
特別展のポスター |
特別展の会場である山里櫓 |
会場風景 |
毎度おなじみ高虎公も展示中 |
高虎の養子の高吉が玉川町の光林寺に宛てた書状 |
高虎ゆかりの謎の模型?本邦初公開です! |
特別展の観覧券は天守の観覧券と共通になっています。
特別展をご覧になる方は、天守の窓口にて券をお買い求めください。
学芸員 伊津見
2016年2月29日月曜日
松平定勝・定房親子の事
こんにちは。
もう3月なのにまだまだ寒い日が続いておりますが、皆さんはいかがお過ごしでしょうか。
さて、本日のブログの内容は今治藩主の久松松平家の事について。
実は、今治城主についてもっとも有名なのは築城者である藤堂高虎なのですが、藤堂家が伊勢国(三重県)に転封された後は、誰が今治城主だったかについては実はほとんど知られてないのではないでしょうか…
1635(寛永11)年に藤堂氏の次に今治に入ってきたのは、久松松平家の松平定房でした。
この家は、徳川将軍家とはかなり深い関係を持っておりまして、定房の父親である松平定勝は、なんと徳川家康の父親違いの弟!
つまり家康と定勝は同じ母親から生まれているんですね。(母親の名前は於大の方)
![]() |
家康の父親違いの弟、松平定勝 |
そうした血縁関係もあって、もともと久松姓だった定勝は、家康から徳川一門の証として松平姓をもらい、松平定勝と名乗った訳です。
徳川家と親戚関係になった久松松平家は、その後江戸幕府内でも重く用いられるようになり、幕府を守るための譜代大名として全国各地へと送り込まれます。
特に四国には、松山に定勝の次男の定行が、そしてここ今治には五男の定房がそれぞれ入ってきていますが、これは幕府が西日本の大名達に対して睨みを効かすためでした。
(ちなみに定行・定房兄弟は家康から見たら甥)
定勝の5男定房着用の甲冑 |
この松平定房が今治城に入ってから明治時代の廃藩置県まで約230年間、今治城は久松松平氏の居城であり続けました。
定房本人も先述した血縁関係に加えて優秀な人物だったようで江戸幕府から深く信頼を受けていたようです。
そうした定房の事績や、その後の子孫や一族の事についても紹介していこうと思いますが、それはまた次回の更新にしたいと思います…
学芸員 伊津見
2016年1月30日土曜日
石垣に転用された五輪塔
皆様、こんにちは。
ここ最近は非常に寒い日が続いておりますが、いかがお過ごしでしょうか。
今日は、天守内に展示している今治城にゆかりのあるモノを紹介しようと思います。
それが、これです!
| 一体これは…? |
実はこれ中世(鎌倉時代~戦国時代)に作られたと思われる五輪塔を構成していた石材なんです。
恐らくもとの姿はこんな感じだったんじゃないでしょうか…
藤堂高虎が今治城の築城を開始した際、問題になったのが石垣用の石材の確保だったと云われています。
領内に良質な石材を産出する山がなかったようで、本来であれば耐久性に難がある石灰岩までかき集めて使用する程でした。
地元・今治には以下のようなエピソードが残っています。
今治城の石垣用の石材確保のため、高虎は領内の村々に向けて、上記の写真に写っているような五輪塔等の石塔を差し出すように命じますが、乃間(野間)という地区では先に地区内の石塔を地面に埋めて隠し供出を免れたそうです。
この石塔の徴発というエピソードを裏付けるかのように、過去今治城で行われた発掘調査では石垣の中から五輪塔と思われる石材が多数出土しています。
現在、天守4Fに展示している石材は、こうした発掘調査の時に出土したものなんです。
現在の今治市には藤堂高虎や初期の今治城に関する史料がほとんど残っていません。
そのような中で、こうして残っている五輪塔の部材の一部は、今治城築城時の様子を物語る大事な生き証人だと思います。
今治城天守に来館された際には、ぜひ4Fに展示している五輪塔の石材もご覧ください。
学芸員 伊津見
恐らくもとの姿はこんな感じだったんじゃないでしょうか…
| 『ふるさと今治の文化財』(1990)から抜粋 |
藤堂高虎が今治城の築城を開始した際、問題になったのが石垣用の石材の確保だったと云われています。
領内に良質な石材を産出する山がなかったようで、本来であれば耐久性に難がある石灰岩までかき集めて使用する程でした。
地元・今治には以下のようなエピソードが残っています。
今治城の石垣用の石材確保のため、高虎は領内の村々に向けて、上記の写真に写っているような五輪塔等の石塔を差し出すように命じますが、乃間(野間)という地区では先に地区内の石塔を地面に埋めて隠し供出を免れたそうです。
この石塔の徴発というエピソードを裏付けるかのように、過去今治城で行われた発掘調査では石垣の中から五輪塔と思われる石材が多数出土しています。
現在、天守4Fに展示している石材は、こうした発掘調査の時に出土したものなんです。
| 五輪塔の笠の部分 |
現在の今治市には藤堂高虎や初期の今治城に関する史料がほとんど残っていません。
そのような中で、こうして残っている五輪塔の部材の一部は、今治城築城時の様子を物語る大事な生き証人だと思います。
今治城天守に来館された際には、ぜひ4Fに展示している五輪塔の石材もご覧ください。
学芸員 伊津見
2016年1月1日金曜日
謹賀新年
2015年12月29日火曜日
天守の展示パネルをリニューアル!!
今治城は昨日で今年の開館日程を終えました<(_ _)>
今年もたくさんの方にご来館いただきました。
今年の来館者数は74,531人!
今治城としては近年に無い多さでした。
ありがとうございました。
来年もたくさんの方に来ていただいて、今治城や今治の歴史のことを知ってもらえたら嬉しいな、と思っています。
そのため、天守の常設展示(歴史資料館)の展示パネルを少しずつリニューアルしていました。
今日、ようやく完了しました!
新しく展示した資料もありますし、以前と同じ展示のところも、解説文を一新しています。
| 甲冑や、 |
| 鉄砲や、 |
| 昔のお手紙(将軍様からの!)や、 |
| 文才溢れるお殿様の書、などなど。 |
新たな装いで皆様をお待ちしております。
来年もよろしくお願い申し上げます。
新年は1月1日、元日から開館します!!
それでは、良いお年を!!
今治城 学芸員 ふじもと
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