2017年4月5日水曜日

霊厳寺訪問

皆さん、こんにちは。

全国的にようやく暖かくなってきた影響で、最近今治城では城内の桜が少しずつ開花してきております。いよいよ待ちに待った春が到来してきたという感じです。


さて、私、伊津見は先月末に出張で東京に行って参りました。


今治城では、現在、今治藩関係の史料調査を行っておりますが、必ずしも史料は今治市内に残っているわけではありません。今治市外、或いは愛媛県外に存在するケースもあり、それらの調査のため遠方に出張する事もあります。


今回は、東京在住の今治藩士の末裔の方が所蔵されている史料の調査と、今治藩主久松松平家の菩提寺である霊厳寺への訪問が目的の出張でした。


本記事では、この霊厳寺訪問について紹介したいと思います。



霊厳寺境内。昔はもっと広大な敷地を誇ったそうです。

霊巌寺は、東京都江東区白河に位置する浄土宗寺院です。

1624(寛永元年)に霊巌上人によって日本橋に創建されましたが、1657(明暦3)年の明暦の大火によって焼失した後、現在地に移転。
江戸時代を通じて浄土宗の僧侶を養成する檀林(学校)の1つでもあった事から、大いに栄えていたと云われています。

そんな霊厳寺ですが、複数の大名家の菩提寺という側面も持っていました。

具体的には、近江国膳所藩主(滋賀県大津市)本多家や、伊勢国桑名藩主(三重県桑名市)松平家が該当します。

そして…我が今治藩主久松松平家もここ霊厳寺を菩提寺としています。



この墓石が今治藩主久松松平家の墓です。
左右の石灯篭には家紋の星梅鉢が見られます。

巨大な五輪塔で、非常に立派な墓石です。

ちなみに歴代藩主10人のうち江戸で亡くなった7名は霊厳寺に、今治で亡くなった3名は今治の国分山墓所にそれぞれ葬られています。

当時は、遺体の輸送にも現代と違って手間がかかるため、江戸で亡くなった藩主は、今治ではなく江戸に葬るように決められていたのではないでしょうか。(その辺の基準は史料に残されていないためよくわかっていません…)

また、霊厳寺には江戸住まいであった歴代藩主の正室や、幼くして亡くなった子ども達の墓もあり、数十以上にも及ぶ墓石が林立していたそうです。

しかし、1923(大正11)年の関東大震災によって霊巌寺と共に久松松平家の墓石群も壊滅。

震災復興の過程で、広大な同家の墓所は当時の東京市(現東京都)からの要請で整理縮小する事となったため、残っていた2代藩主松平定時の墓石(上記写真の墓)に、それ以外の歴代藩主やその家族を全て合葬したとの事。


表面には「嶺香院殿実誉体安恵相大居士」の文字が。
2代藩主松平定時の戒名です。



このため、今治藩主で現存している墓石は、今治に残る初代定房・3代定陳・4代定基と、残りの藩主やその家族を合葬した2代定時の4人しか残っていないとされていました。

ところが、近年になって霊巌寺近くで行われた地下鉄大江戸線の建設工事の際に、大名家の墓石の一部と思われる部材がいくつか発見され、霊巌寺ではこれらを引き取って境内の隅に安置していました。とはいえ、当時はこれらの墓石が誰のものかはよくわからなかったそうです。


今回住職さんの案内で、この墓石の部材群を調査させてもらったところ、そのうちの1つは、なんと第7代今治藩主松平定剛の墓石の一部である事が判明!

これが今回の出張で大きな収穫となりました。

           
これが7代藩主定剛の墓石の一部です。
上部には花弁があしらわれています。



                       

表面には「豫州今治城主 松平壱岐守源定剛」の文字が。
   これが7代藩主定剛の墓石の一部である事の決め手になりました。

一部とはいえ、5人目の藩主の墓石が残っていたという事実が確認出来たのは、非常に喜ばしい事であります。
また、今治から遠く離れた東京で「豫洲今治城」の文字を見て感慨深いものがありましたし、今回の調査で確認出来た内容に関しては、近いうちに今治城の天守閣内の展示にも生かしていきたいところですね。



当日は、雨が降る中での霊巌寺訪問でしたが、久松家末裔の久松定順さんにも同行して頂き、住職さんとも初めてお会いする事が出来ました。
お忙しい中、お付き合い頂きましたお二方には感謝申し上げます。



                                                                                         今治城 伊津見

2017年1月1日日曜日

お正月の風景 ~天守最上階からの絶景~

あけましておめでとうございます。

ここ今治は元日から幸先よく晴れ渡りました。

そのため、今治城の天守最上階(展望台)からは、瀬戸内海やしまなみ海道の絶景が広がっています。

天守最上階の展望台から。しまなみ海道(来島海峡大橋)を望む。


今日、天守に上がったお客様はこの景色を堪能しています。

明日以降も同じような景色が広がると良いのですが…
天気予報によると、12日(午前中)、3日ともに晴れ間が広がるようです。

期待大ですね。


また今治城界隈は、お正月期間中は毎年大変なにぎわいになります。
その理由は、今治城跡(吹揚公園)の中にある吹揚神社に大勢の初もうで客が訪れるからです。


今日の吹揚神社

吹揚神社は今治城の旧城下町にあった4つの神社が合祀して出来たもので、今治地域の中心的な神社です。

今年も大勢の方が訪れ、長蛇の列をなしています。

広場まで続く参拝客の列。天守最上階から。

広場には出店が軒を連ね、お祭りのようなにぎやかさです。


にぎやかな広場



皆様にとって、今年が良い年でありますように。
本年もよろしくお願い申し上げます。



学芸員 藤本

2016年12月30日金曜日

年末大掃除

こんにちは。

今治城は毎年1229日から1231日までの3日間、休館になっております。

1年間で休館するのはこの3日間のみですので、この期間を利用して約2年に1度、館内の大掃除を行っています。

今年は昨日と今日の2日間で実施しました。


おかげさまで、ピカピカの床になりました。





新年は11日より、通常通り午前9時から開館いたします。

ピカピカの床で皆さまのお越しをお待ちしております。


本年は大変お世話になりました。ありがとうございました。
来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。


学芸員 藤本


2016年11月30日水曜日

第2回特別展展示説明会を行いました!

皆さん、こんにちは。


10月22日から始まった今治城特別展「今治藩主 久松松平氏の世界」ですが、11月27日(日)に第2回目となる展示説明会を行いました!残念ながら当日は、あいにくの雨模様でしたので参加された方も少なかったのですが、久松松平氏の歴史に興味・関心を持っている方が多かったため、皆さん学芸員による解説に熱心に耳を傾けておりました。


この説明会を通して特別展に対する理解が深まって頂いたら今治城側としても嬉しく思います。
特別展に伴う展示説明会は今回が最後になりますが、特別展そのものは12月18日(日)まで開催しておりますので、まだご覧になられてない方はぜひお越しください!





                                               学芸員 伊津見

2016年11月5日土曜日

講演会「四国の大名と久松松平氏」を開催しました!

皆さん、こんにちは。


11月3日(木)、文化の日に今治城内にある吹揚神社寿殿で、「四国の大名と久松松平氏」という講演会が行われました。


講師は、愛媛大学法文学部教授で日本近世史をご専門にされてる胡光(えべす・ひかる)氏です。


会場の寿殿。吹揚神社さんの施設をお借りさせて頂きました。



たくさんの人に来て頂きました!

講演会の主旨は、安土桃山時代から江戸時代末期までを対象に、四国の大名の配置の変遷を取り上げたものです。


豊臣秀吉による四国平定で、四国には生駒・蜂須賀・福島といった秀吉の息のかかった、いわゆる豊臣恩顧の大名達が集中的に配置されました。これが関ヶ原の合戦後に徳川家康の天下になると、四国の大名配置に変化が生じ、徳川氏の一門である松平氏が次々と送り込まれて江戸幕府の影響力が及ぶようになります。
特に交通の大動脈であった瀬戸内海に面した北四国(松山・今治・西条・高松)が一門の松平氏で固められていたという点については、いかに江戸幕府が瀬戸内海を重視していたかがわかります。


その中で、特に今回の特別展で取り上げた今治藩主久松松平氏と松山藩主久松松平氏は、3代将軍徳川家光の時代にそろって今治・松山に入ってきますが、この両氏が四国に送り込まれた最初の徳川氏の一門でした。
当時の西日本は豊臣恩顧の大名達が多く残り、政情が不安定だった事から、その抑えとして両久松松平氏が送り込まれたという事だそうです。


江戸時代の四国の大名配置は非常に複雑な変遷をたどっていて、わかりにくいところもありますが、胡先生が大河ドラマの話等を交えながら話をされたので、参加者からも非常にわかりやすいという事で好評でした。


                

将軍家と久松松平氏の関係を説明される胡教授。


                

参加者からの質問もありました。

また、今回の講演会の終盤では久松松平氏の末裔で次期当主に当たる久松定順さんにも挨拶をして頂きました。



               

挨拶される久松さん。

講演会は1400~1600と2時間程でしたが、定員間近の65名が参加され大盛況でした。
こうした講演会は、今治城として初の試みでしたが、今後も定期的に行っていきたいと考えております。また多くの方が参加されて地域の歴史への興味・関心を深めて頂ければ、今治城としてこれほどうれしい事はありません。


                                          今治城 伊津見


2016年10月31日月曜日

第1回特別展展示説明会を行いました!

昨日(30日)の1400から、山里櫓にて第1回目となる特別展の展示説明会を行いました。

参加者は約25名程。前回の「高虎と高吉」展でも同様の説明会を行いましたが、その時よりも若干人数が増えているように感じました。

今回も多くの方にお越し頂いてありがたく思います。





展示スペースの関係上、どうしても現場に置いてあるキャプションだけでは、伝える事が出来る情報量が限られてしまいます。

そういった問題点を少しでも解消するため、今治城では限られた回数ですが、展示説明会を行うようにしています。より詳しい情報(史料や藩主にまつわるエピソード等)を伝える事で、参加された方々により展示史料に対して親近感を持ってもらえればと思っております。

次回は11月27日(日)1400から行う予定です。

ぜひぜひご参加ください!!


                                      今治城 学芸員 伊津見

2016年10月30日日曜日

「緑の少年団」が今治城を見学されました

皆さん、こんにちは。


少し前になりますが、10月26日(水)1330から、「緑の少年団」に所属している市内の吹揚小学校の3年生の生徒さん75名が今治城を見学されました。
「緑の少年団」というのは、子ども達を対象にした団体で植樹や森林の手入れ、緑地帯や河川・浜辺の清掃、募金活動等といった子ども達が自然に親しんでもらえるような活動を全国各地で展開しています。ひょっとしたらご存じの方もおられるのではないでしょうか。


そんな「緑の少年団」ですが、今回そこに加入されている吹揚小学校3年生の生徒さんが今治城の天守と犬走の見学で来城されました。
特に犬走には、県や国の準絶滅危惧種に指定されているような貴重な動植物が数多く生息しています。今回の見学はこの犬走の自然環境に親しんでもらおうという事で企画されたものでした。


石垣の前に整列!

参加生徒は75名と大人数だったので、安全性を考慮して犬走班と天守班の2班に分けて行動する事に。


犬走班は今治城自然科学館担当学芸員の越智先生が、天守班は今治城学芸員の伊津見がそれぞれ担当しました。


越智先生の解説を聞きながら犬走を見学する生徒さん達


貴重なツメレンゲを発見!

犬走では普段見る事の出来ない貴重な動植物をたくさん見つける事が出来たと思います。

また、自分達が普段通っている吹揚小学校を堀越しに見る事が出来て生徒さん達にとっては新鮮な感じがしたのではないでしょうか。

続いて天守班。


4階に展示してある鯱瓦について解説


天守班は時間の都合上、全部見て回る事は出来なかったので、天守の展示品の中でも生徒さん達に興味を持ってもらえそうなものをピックアップして見学しました。


具体的には身分の高い人が乗った駕籠や、藤堂高虎の肖像画、飴買い幽霊の絵や巨大鯱瓦等です。
藤堂高虎の身長や体重、鯱瓦の大きさ等、生徒さん達も初めて聞く話も多かったようで、熱心にメモを取られていました。


2階の自然科学館も忘れず見学。

最後は2階の自然科学館も見学し、今治城の貴重な自然環境についても勉強しました。
やはり3年生という事もあってか、歴史モノより自然モノの方に興味津々な子が多かった気が…(;^_^A

この後は犬走班と天守班が交代し、同じような内容でまたそれぞれを見学。1515には終了して解散となりました。

天守はいつでも入れますが、犬走は普段は非公開になっているので今回の活動は生徒さん達にとっては貴重な体験になったのではないでしょうか。
私としても今治市を代表する史跡でもあり、貴重な動植物が生息するこの今治城に対してもっともっと生徒さん達が興味を持ってもらえたら嬉しく思います。
                                              
                                                                                         今治城学芸員 伊津見