2024年6月29日土曜日

今治城にある灯籠や狛犬

 

こんにちは😊


梅雨真っ只中で、湿った天候が続いています。

体調には十分気を付けてお過ごしください。


ところで、今治城跡の登城ルートの両脇には、石造りの灯籠(とうろう)が建っています。


それも2基、3基と。

 




これまでに今治城に来られた方は、気づいた方も居られると思います。

覚えていなくても、必ず視野には入っていたはずです。そのくらい自然な感じで傍に立っています。

 

でも、よくよく考えると、城の登城ルートに灯籠があるのは不思議ではありませんか?

他のお城にはあるのでしょうか?

 

灯籠は、機能としては明かりを取るためのものですが、お寺や神社によく建っています。

日本には古代に仏教の伝来とともに中国から渡来し、当初はお寺の建物の荘厳や装飾用に用いられ、その後、神社や民間にも普及したそうです(日本民具学会編『日本民具辞典』1997年より)。

 

今治城にある灯籠も、実は神社のものです。

というのも、現在の今治城内には吹揚(ふきあげ)神社があります。

城内にある吹揚神社

吹揚神社は江戸時代に今治の城下町や周辺にあった4つの神社を合祀させて、廃城後の明治5年(1872)に城内本丸跡に建立されたものです。


今治城の登城ルートは、実は吹揚神社の参道にもなっています。

吹揚神社はたくさんの神社が集まっているため、元々の神社にあった灯籠などが集まられ、配置されたのだと思われます。

そのため、灯籠も複数ありますし、その他の石造物もたくさんあります。

 

石造物には、建てた人(建立資金を出し、奉納した人)、造った人(石工)の名前や建立した年月を刻んでいることがよくあります。

 

天守の横にある狛犬

例えば、現在の天守の横に狛犬(こまいぬ)がいます。

狛犬はまさに神社のものですよね。

その台座には「魚問屋」「魚仲買(売?)」と刻まれています。

魚を扱う商人達が奉納したようです。

向かって右側の狛犬

「魚問屋」※横書きは右から左へ書いている。

向かって左側の狛犬

「魚仲買(売?)」

建立時期は「安政六年」=1859年で、江戸時代末期の幕末の頃です。

「安政六未」=安政6年・ひつじ年=1859年

魚を扱う商人たちが建立。

江戸時代から港町だった今治らしい石造物です。

 

学芸員F