2022年10月5日水曜日

「石丸家文書目録」を公開しました

この度、今治城ホームページの「おしらせ」欄にて、今治城の収蔵資料の一部である「石丸家文書」の目録を公開しました。





目録を公開した石丸家文書は、江戸時代に桜井村・朝倉下村(ともに現今治市南東部)の庄屋を勤めた石丸家に伝来した古文書・記録類347件です。


当文書群には、明和から幕末の村政・年貢・治水・普請などにかかわる近世文書のほか、衛生委員任命状など明治期の文書も4点含まれています。




安永2年(1773)「伊豫国越智郡御料朝倉下村・私領朝倉中村弐ヶ村立会 用水堰当巳春御普請出来形御届帳」(石丸家文書230)
洪水で破損した堰の工事が完成した後、その工事を事前の届出通りに実施したことを報告した文書。工事は今治藩領の朝倉中村と幕府領の朝倉下村の共同で行われ、両村の村役人から当該地域を管轄していた笠岡(現岡山県笠岡市)代官の野村彦右衛門へ報告書が提出された。




明治17年(1884)5月14日「櫻井村衛生委員任命状」(石丸家文書74)
愛媛県から石丸昱太郎への衛生委員任命状。明治13年8月、愛媛県は町村衛生委員の設置を布告した。委員の職掌は、管内の出産死亡の取調べ、薬舗売薬家の取り締り、流行病の予防消毒、種痘普及、貧民救済などであった。



みなさまにご活用いただけますと幸いです。


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学芸員M