こんにちは😊
梅雨真っ只中で、湿った天候が続いています。
体調には十分気を付けてお過ごしください。
ところで、今治城跡の登城ルートの両脇には、石造りの灯籠(とうろう)が建っています。
それも2基、3基と。
これまでに今治城に来られた方は、気づいた方も居られると思います。
覚えていなくても、必ず視野には入っていたはずです。そのくらい自然な感じで傍に立っています。
でも、よくよく考えると、城の登城ルートに灯籠があるのは不思議ではありませんか?
他のお城にはあるのでしょうか?
灯籠は、機能としては明かりを取るためのものですが、お寺や神社によく建っています。
日本には古代に仏教の伝来とともに中国から渡来し、当初はお寺の建物の荘厳や装飾用に用いられ、その後、神社や民間にも普及したそうです(日本民具学会編『日本民具辞典』1997年より)。
今治城にある灯籠も、実は神社のものです。
というのも、現在の今治城内には吹揚(ふきあげ)神社があります。
城内にある吹揚神社 |
吹揚神社は江戸時代に今治の城下町や周辺にあった4つの神社を合祀させて、廃城後の明治5年(1872)に城内本丸跡に建立されたものです。
今治城の登城ルートは、実は吹揚神社の参道にもなっています。
吹揚神社はたくさんの神社が集まっているため、元々の神社にあった灯籠などが集まられ、配置されたのだと思われます。
そのため、灯籠も複数ありますし、その他の石造物もたくさんあります。
石造物には、建てた人(建立資金を出し、奉納した人)、造った人(石工)の名前や建立した年月を刻んでいることがよくあります。
天守の横にある狛犬 |
例えば、現在の天守の横に狛犬(こまいぬ)がいます。
狛犬はまさに神社のものですよね。
その台座には「魚問屋」「魚仲買(売?)」と刻まれています。
魚を扱う商人達が奉納したようです。
向かって右側の狛犬 |
「魚問屋」※横書きは右から左へ書いている。 |
向かって左側の狛犬 |
「魚仲買(売?)」 |
建立時期は「安政六年」=1859年で、江戸時代末期の幕末の頃です。
「安政六未」=安政6年・ひつじ年=1859年 |
魚を扱う商人たちが建立。
江戸時代から港町だった今治らしい石造物です。
学芸員F