2022年1月21日金曜日

昨年 2021(令和3)年 1月~12月の今治城

こんにちは。


大寒のころとなりました。





一年で最も寒い季節がやって来ましたね。温暖な今治でも朝の冷え込みは厳しく、通勤車の外気温度計は-2℃でした。
節分まではこの冷え込みが続くので、コロナはもちろんのことインフルエンザや風邪など引かないよう、くれぐれもお気をつけください。


さて、本来ならば一年を振り返るのはその年の12月なのですが、昨年末は叶いませんでしたので、年をまたいだこの時期に2021年の今治城を振り返らせてください。


今治城も皆さまと同じく、コロナ禍の影響をうけて働き方や経済活動・人との関わり方や生活様式など、たくさんの変化がありました。


一番の変化は、4月に新メンバー【自然科学館のM先生と新人学芸員 M】が赴任したことでしょうか。


自然科学館館長のM先生


新人学芸員 M

M先生も新人学芸員Mも、新しい展示や研究に意欲的に取り組みながら、観覧者はもちろんのこと、地元今治の方々に〉今治城を知っていただき、来て楽しんでいただこうと創意工夫をしています。


★ 4月21日 聖火が今治城に。












4/22~5/31まで、新型コロナウイルスの感染拡大防止のため臨時休館しました。

天守入口と窓を閉め切り、観覧者がいない静かな城での仕事は厳しいものがありましたが、今できる事、今しかできないことをしよう‼と気を取り直して取り組んだのが今治城公式ツイッター。新人学芸員Mが頑張り、7月19日に開設できました。

おかげさまで、たくさんの方々に応援していただき、現在は1074人ものフォロワーさんがいらっしゃいます。


★7月末は夏休み企画として〈新型コロナウイルスの感染拡大が収まり、コロナ禍でうまれた差別や偏見がなくなりますように〉と、職員Mと新人学芸員Mが心を込めてシトラスリボン2000個を編みました。


入館した子供たちや学生さんには観覧券と一緒に手渡しし、一般の観覧者はご自由にお持ちいただきました。


★ 8/14~9/12まで、またもや新型コロナウイルスの感染拡大防止のため臨時休館。この間に、スタッフたちのコロナワクチン接種が終了しました。その後再開してからも、できる限りのコロナ感染予防対策をしながら観覧者をお迎えしています。



★11月12日からは「ドラゴンクエストウォーク」の「この城わが旅!日本100名城キャンペーン」が始まり、1月31日㈪まで実施中です。




このころ、コロナ感染者数が落ち着き始めたようにみえ、収束に向かうのかも…と、かすかな希望を感じたのを思い出します。


★コロナ禍になってからツアー団体客は激減しましたが、修学旅行の児童や学生さんたちが、たくさん来城するようになりました。

日本の歴史が学べ、しっかりとコロナ感染予防対策をしており、換気ができていて密にならない、からでしょうか。








★ 11月27日 今治城がクラシックジャパンラリーのチェックポイントになり、たくさんのクラシックカーが集まりました。ほんの一部を紹介します。









ツイッターには鉄御門をくぐって走るクラシックカーの動画を掲載しています。

本日〠届いたクラシックジャパンラリー『終了報告書』にも今治城での様子が掲載されていました。



★ たくさんの書籍に今治城(御城印)が掲載されました。







今治城が『歴史絶景』日本の絶景ベストセレクトの表紙になったときは、スタッフ一同、感謝感激でした。






昨年も一昨年に続いてコロナに振り回され、なにがなんだかわからないまま一年が過ぎたように感じていましたが…

こうして振り返らせていただくと、ある意味、実のある年だったかもしれません。丑年にふさわしく、ゆっくりと少しずつ前に進めたようにおもいます。




今年は、昨年に蒔いた種が🌱芽吹きますように。






2022年1月8日土曜日

新年のご挨拶


明けましておめでとうございます。

新しい年を迎えて一週間が過ぎました。
みなさま、いかがお過ごしですか?




仕事や学校も始まり、普段の暮らしに戻られたでしょうか。

地方によっては降り続く大雪で⛄大変な思いをされている方もいらっしゃるかと。温暖な四国の者には想像できませんが、転ばないように気をつけてくださいね。



さて、元旦から開館していた今治城はようやく静けさを取り戻し、職員たちは、それぞれの仕事を始めています。

今年のお正月は久しぶりの大賑わいで、三が日1596人もの方々が来城されました。








今治城では元旦からお年玉企画として、1000枚限定バリィさんお正月バージョン「しおり」入館者に無料配付しました。

図柄は、天守の上に初日の出。バリィさんは藤堂高虎公のうさ耳カブトをかぶり、手には破魔矢(縁起を祝う矢)を持っています。

しおりの裏には、職員一同のおもいを書かせていただきました。今年こそは、穏やかなよい年であることを心から願っています。






もうひとつ、新年をお祝いして🎍迎春 御城印を枚数限定で作りました。(税込・三百円)

今治城は日本三大水城ですので、家紋を海水の藍色に。

背景は、平安で幸せな暮らしが未来永劫続きますように…との願いが込められた吉兆柄の青海波(せいがいは)を。

右下には堀で泳ぐボラを金色で押しました。










御城印の日付は、館長が心をこめて書いています。






おかげさまで、バリィさんお正月バージョン「しおり」は二日に配り終え、入館した方々に喜んでいただけました。

迎春「御城印」は、このように天守入口の観覧券売場にて、いつもの御城印と並べて販売しています。






長々と続いているコロナ禍も、油断せずに今までどおりの感染予防を続ければ落ち着くのではないかと感じられた昨年12月、天守入口に職員Mが編んだシトラスリボンを置きました。【昨年夏は(18歳未満と大学生)の入館者にお配りしました。】








今はもう、何度目の「まん延防止」かわからないくらいコロナ禍が続いていますが、

昔から『明けない夜はない』『上がらない雨はない』とも言われています。

今治城職員一同、マスクなしで観覧者のみなさまにお会いできるのを楽しみに、今できること今しかできないことを粛々としてまいります。


今年もよろしくお願いいたします。




2021年12月29日水曜日

年末のご挨拶

今治城は、昨日で年内の開館を終えました。

今日から3日間(12月29日~31日)は年末恒例の休館日になっています。ご注意ください。


今年も一年間、大変お世話になりました。

来年もよろしくお願いいたします。

元旦から開館です!

プレゼント企画や、新商品(新「御城印」)も用意しています。

※点数限定あり。ご注意ください。

詳しくは今治城公式Twitterをチェック


それでは、よいお年をお迎えください!!


2021年12月14日火曜日

見どころ紹介 企画展「お侍さん」④ 仕事のために持っていたモノ

こんにちは。

 

現在開催中の企画展「江戸時代 のぞいてみよう! お侍さんの仕事」は、今週末の1219日(日)が最終日です。

(´;ω;`)ウッ…

見どころ紹介は、今回が最終回になります。

 

※前回までの見どころ紹介は以下をクリックしてください。

☞ 第1回 2つの甲冑(よろい)

☞ 第2回 武士の正装 裃(かみしも)

☞ 第3回 江戸での仕事場と住居

 

今回は、お侍さん(武士)が働いている時に、実際に持っていたモノ、使用していたモノをご紹介します。




武士は、本来は軍事を担当する身分の人たちでした。

しかし江戸時代では、社会の統治も武士が担当し、結果的に戦いがほとんど無い時代だったので、武士の仕事は今の公務員のような行政職が主になりました。

 

そんな仕事内容をほうふつとさせるものを展示しています。

 

参勤交代で、将軍のおひざ元の江戸(現在の東京)に滞在していた武士が持っていたメモ帳です。



資料名:政務関係留帳


大きさは、縦6.5㎝、横16.5㎝でとても小さいです。

常に携帯し、メモしたり、内容を確認したりしていたのでしょうか。

「江戸城に藩主(自分の殿様)が出仕する時に足袋を着用させてほしいお願いをした」など、当時のしきたりがうかがえる興味深い内容が書かれています。

 

 

また、当時の武士の役職の一つに、記録を取ったり文書の下書きをする「書役(かきやく)」や、清書をする「右筆(ゆうひつ)」がありました。

 

右筆の人たちが使っていた参考書の一つも展示しています。


資料名:武鑑


これは「武鑑(ぶかん)」といって、大名や幕府の役人の名鑑です。

仕事上、必要な情報だったのでしょう。

 

そして、珍しいモノが今治藩士の家に伝わっていました。

 

資料名:徳川家茂御内書

江戸幕府の将軍だった第14代:徳川家茂(とくがわ いえもち)の文書の原本です。

ホンモノですΣ(・□・;)

立派な大きな紙に書かれています。

 

なぜ、一地方の普通の武士の家に、全国の武士の頂点に立つ将軍の文書が伝わったのでしょうか?

 

この文書は、将軍家茂から当時の今治藩主だった松平勝道(9代藩主)に宛てて、献上された衣服の返礼を述べたものです。

そして、この文書を伝えた藩士は、当時、今治藩で「書役」の職を勤めていました。

 

おそらくこの文書は、幕府と今治藩との間でやり取りされた公式のものとして取り扱われ、「書役」の一員だった藩士が、仕事上の都合で手元に置いていて、そのまま、その藩士の家に保管されたままになったのかもしれません。

 

「書役」という役職だった故に起こった、面白い伝来の仕方だと思われます。


以上、全4回にわたって企画展「江戸時代 のぞいてみよう! お侍さんの仕事」の見どころを紹介してきました。

関心を持っていただけましたら幸いです。

 


会期は残り僅かですが、ぜひご来城、ご観覧ください。

よろしくお願いいたします。

 

学芸員T.F

2021年12月1日水曜日

「池田家文書目録」公開によせて

この度、今治城ホームページの「おしらせ」欄にて、今治城の収蔵資料の一部である「池田家文書」の目録を公開しました。

みなさまにご活用いただけますと幸いです。


【お知らせ】池田家文書目録を公開しました。


 今治城天守内で開催中の令和3年度 企画展「新収蔵品展―令和2年度収蔵資料―」の開催にあたって、次のようなメッセージを発信しました。


“博物館”としての今治城では、今治城の紹介とともに、地元地域のものを中心として、歴史や文化、自然や美術に至るまで、幅広い分野の資料=文化財を収集し、守り、伝えています。


 今治城は、今治市域の歴史や文化を伝える地域博物館としての役割をになっており、これまで地域にまつわる数多くの資料を収集してきました。

 収集した資料は、展示や図録の発行などを通してみなさまに紹介しています。しかし、これらの方法で紹介できる収蔵品の数には限界があります。


 そこで今回、これまでの事業では紹介しきれていなかった収蔵品の情報公開のため、目録を公開することとなりました。


 目録公開の第一弾は、いち早く公開の準備を整えることのできた「池田家文書目録」です。池田家文書は、旧今治藩士池田家に伝来した古文書・記録類188点(162件)で、知行宛行状などの近世文書のほか、書簡や地券を中心とした明治期の文書も含まれています。


延享元年(1744)9月27日付「松平定郷知行宛行状」(池田家文書160)
今治藩5代藩主松平定郷が家臣の池田善右衛門に宛てた知行宛行状。父弥次右衛門の家督相続として知行(給料)50石を与える旨が記されており、日付の下に定郷の名前と花押(サイン)が据えられている。


 「池田家文書目録」をはじめの一歩として、今後は全ての所蔵品目録の公開を目指していきます。また、今回はホームページの「おしらせ」欄を間借りしての公開ですが、利用者のみなさんにとってより使いやすくするため、専用ページの開設や外部データベースの活用も検討しています。


 なお、池田家文書の一部は、企画展「江戸時代 のぞいてみよう! お侍さんの仕事」(会期:2021年10月2日~12月19日)で展示しています。ぜひご来館ください。

企画展のご案内→ 企画展「江戸時代 のぞいてみよう! お侍さんの仕事」


学芸員M🐥

2021年11月27日土曜日

見どころ紹介 企画展「お侍さん」③ 江戸での仕事場と住居

こんにちは。

開催中の企画展「江戸時代 のぞいてみよう! お侍さんの仕事」の見どころ紹介・第3弾です。
 

※前回までの記事はこちら

1回 2つの甲冑(よろい)

☞ https://imabarijo.blogspot.com/2021/11/blog-post.html

2回 武士の正装 裃(かみしも)

☞ https://imabarijo.blogspot.com/2021/11/blog-post_16.html

 

1枚の大きな絵図の複製を、ボードに貼り付けて紹介しています。
これは「今治藩江戸屋敷図(いまばりはん えどやしきず)と名付けている絵図です。




江戸時代は、お侍さん(武士)のトップだった将軍(しょうぐん)が全国を支配していました。

将軍は、全国各地の大名(だいみょう。広い領地を支配していた武士。藩主(はんしゅ)のこと)を支配するために、大名に対し、将軍のいる江戸(えど。現在の東京)に定期的に参勤することを定めていました。

「参勤交代(さんきんこうたい)」という制度です。

 

大名は、付き従う家臣たちと共に江戸に上り、江戸にあった屋敷に滞在しました。それが江戸屋敷です。

この絵図は、今治地方を治めていた今治藩(いまばりはん)の江戸屋敷の平面図です。




部屋の一つ一つを描いてくれています。

 

やや細長い敷地の真ん中にある黄色で示された建物が、大名(藩主)が滞在する「御殿(ごてん)」です。

たくさんの部屋がある大きな建物です。

御殿は、藩主やその家族の住居であると共に、藩の江戸での仕事場(オフィス)も兼ねていました。

 

御殿の周りを、青色や白色で示された細長い建物が囲っています。

この建物は長屋(ながや)でした。

いくつもの部屋に区切られていて、藩主に従う家臣たちはここに住んでいました。

その多くは単身赴任でした。

 

中央に御殿。その周囲を家臣たちが住む長屋が囲うという配置は、各藩の江戸屋敷の通例でした。

 江戸屋敷の中の長屋は、多くの武士たちにとって、江戸での生活空間だったわけです。

しかし、身分によって与えられる部屋が異なっていました。




 例えば、家臣の一人、竹本治兵衛(たけもと じへえ)さんの部屋の広さは、8畳+土間?4畳=21.7㎡でした。

この屋敷の長屋では、この広さの部屋が一番多いようです。

今のワンルームマンションの普通の部屋より少し狭いでしょうか。

 


世古万右衛門(せこ まんうえもん)さんの部屋は、
20+土間?10畳=54.7㎡の広さがありました。

広いですね! ゆったりと暮らせそうですね!

世古さんは当時、今治藩の重臣でした。



 

 一方で、「歩行格(かちかく)」という下級武士の役職の人の部屋は、89名で12+土間?6畳=32.5㎡でした。

部屋自体は普通の広さですが、8、9名でですからね。。1名あたり2畳弱。

ほぼ寝る所しかない広さ。かなり狭いです!

非日常の合宿の時なら楽しいかもしれませんが、長期の日常生活ですからね。。。

人間関係は密になりそうですが。。。

 

同じ組織のお侍さんの生活空間にも、いろいろあったということがわかります。

 

今回はここまでです。

 

次回の見どころ紹介もお楽しみに!!


学芸員F

2021年11月16日火曜日

見どころ紹介 企画展「お侍さん」② 武士の正装 裃(かみしも)

こんにちは。

開催中(12月19日まで)の企画展「江戸時代 のぞいてみよう! お侍さんの仕事」の見どころ紹介・第2回目です。

※前回の記事はこちら ☞ https://imabarijo.blogspot.com/2021/11/blog-post.html




お侍さん(武士)といえばこの服!という衣服を展示しています。




(最近は放映が少なくなりましたが)時代劇でもおなじみのもの。

名前は裃(かみしも)といいます。


名前の由来は、同じ布質、同じ色の上衣(じょうい)と下衣(かい)のセットを上下(かみしも)と呼んだことに因むそうです。

展示の裃も、上下で同じ布質、色になっています。


また、肩の部分がピンと横に張った特徴的な形。

興味深いことに、布の間に、くじらの髭(ひげ)を入れて張らせているようです。


この服は、登城する時や、公式の行事の時などに着用する、武士の正装です。


※ただし、展示している裃は、今治城の城下町にいた有力町人の家に伝わったものです。武士以外の庶民でも、婚礼や葬儀など、特別な場合の礼服として着用することがありました。


ところで、調査中に今治城の職員(身長177㎝)が横に立ってみました。




・・・裃が小さいですね。


※この写真もパネル展示をしています。


実は、江戸時代の男性の平均身長は155~156㎝くらいだと考えられています。

おそらく、この裃を着た人も同様の身長だったと思われます。


実物のモノによって、現在と昔とを比較すると、

「似ているな。変わってないな」ということや、

「今とは違っているな」ということを、

より強く実感することができます。

私も調査時に、その感覚を持ちました。


企画展の見どころ紹介は、まだ続きます。

次回をお楽しみに!!


学芸員F