2019年9月13日金曜日

今治城の史跡・時報塔


こんにちは。


現代の日本人は世界一時間に厳しいといわれています。
日本の鉄道は遅れないし時間に正確だ、とも言われています。



予讃線8000系アンパンマン列車『四国旅マガジン』より



大洲城で購入したファイルです。




しかしそれは、ここ100年ぐらいでつちかわれた感覚だそうです。


日本人は、1872(明治6)年に「定時法」(一昼夜を24等分する)が採用されるまで、城や寺院が約2時間おきに鳴らす時の鐘によって時間を把握していました。


なので、明治時代に来日した外国人の日記には、日本人のおおらかな時間意識に悩む記述が多々見られ、「時間にルーズな日本人」が伝えられています。


しかし、鉄道や学校制度が整うにつれ、「時間通り」の大切さと、分単位の時間感覚が広まっていきます。律儀で真面目な日本人らしいですね。









今治城の石垣の上に、正午の時報を知らせていた【時報塔】があります。








この部分から音が出ます。
どんな音だったのでしょうか。







大正9(1920)年、今治市の誕生を記念して建てられたそうです。

身近な人のなかに、時報塔の音を聞いた人はいませんでした。市役所が鳴らすミュージックサイレンは、聞いたことがあるそうです。


今治城には時報塔のような史跡がたくさん残っています。




今治城築城・開町四百年祭実行委員会『今治城見聞録』36㌻より


時報塔を、赤の矢印の方向から撮った写真です。
石垣の右端に時報塔があります。












時報塔を、青の矢印の方向から撮った写真です。

大正時代の今治市民は、時報塔が鳴るのを聴いてから、お昼ごはんを食べたのでしょうか。昔の人たちの暮らしぶりを想像するのも楽しいですね。













次回は、三基の忠霊塔について、お伝えさせてください。